アクセルとブレーキ(2019年8月31日)


ブレーキとアクセルの踏み間違いで車が暴走して、悲しい事件が幾度も起きている。そんなに踏み間違えるのかと考えているが、アクセルとブレーキは隣同士だから、何かで頭がパニックになれば踏み間違いもあるだろうと推測していた。

当の本人がそのような少し怖い体験を軽くしてしまったので参考までに状況を話す。

とある交差点を右折するために右折車線で待っていた。大体その車線の信号は早く変わる。皆急ぎエンジンをふかして右折していく。私はやや遅れたので急いで曲がりつつあったが、もう信号が変わってしまった。後ろに中型のダンプがいて、そこは一車線の右折道路なのに加速して私の左側を追い抜こうとしていた。それがサイドミラーで見えていたので危ないと思い、ブレーキを踏んだのだがなぜか加速していた。あれ!加速だ、と気が付きアクセルを離した。やはり気が少し動転していたに違いない。後ろのダンプがいきなり追い抜いてきたので、怖いと思ったのだろう。何せちっこい車なのだから。

本人はとっさにブレーキを踏んだつもりがアクセルだったのだ。多分頭の中ではブレーキを踏む指令が出ていたのだが、なぜかアクセルを踏んでいたのだ。多分の脳の反応と体の反応がずれていたのだろう。気が動転すると多分体の反応に異常が生じるのだろうか。正常に対応してくれなかったのだ。脳はブレーキと言っているのに体の反応はアクセルをブレーキと認識してしまったのだろう。だから脳はブレーキを踏んでいるつもりでいるので、「ブレーキを踏んだのに、加速してしまった」というセリフになってしまうのではないだろうか。
暑い (2019年8月22日)


また書き始めます。
 今年は暑かった山谷のまりや食堂の弁当屋でもその影響があって大盛りが少なかった。いつも大盛りのおじさんが「普通」と言う。「普通だよ」と念を押す。それだけいつも大盛りの人でも普通になってしまうほど暑いのだ。
 カレーにも異変が。日替わり定食のカレーは抜群の人気だったが最近は波がある。余る時さえあるのだ。「辛くてなー」何んて言う人まで出てきた。暑すぎるのと歳をとってきた皆さんだから、辛いカレーはもう無理になったかもしれない。甘口にしようと思う。もちろん甘口と言ってもカレーだからやはり辛いのだ。私は胃腸が弱いからカレーは駄目だ。おいしいと思うが、後で胃が痛む。難しいものだ。
 窓を開けて開店だが、開けると待っているおじさんが「涼しいねー」。部屋から外に抜ける冷気を楽しんでいる。皆暑い所で待っているのだ。すみません。
 今日は8月22日だ。昨日の夜から少し涼しくなった。今日も朝は涼しかった。いよいよ夏はおしまいか。秋が来るか。
 今日は珍しく女性が買いに来た。聞くと観光客だ。千葉と埼玉。もう一人は地元の人だ。「ここ買っていいの?」「いいんだ」。山谷のおじさんがいつも並んでいるから山谷専用と思っている一般の人もいるようだ。
臨時認知テストについて(2019年5月17日)


2019年4月某日、87歳の運転の車が暴走し、若い親子をはね死亡させる痛ましい事故が生じた。なんとも悲惨でかわいそうな事故だ。多分ブレーキとアクセルを踏み違えたのだろう。若いのに今からの人生がすべて消えてしまったのだ。

認知テストをパスしても急に認知のレベルが下がるそうで、こうなるともう人間の側に頼るのではなくて、メカニズムに頼るしかない。つまり対向に物体があればアクセルを踏んでもブレーキがかかる装置が現在開発され、私の車にも装置されているが、このような危険防止の装置を高齢者ドライバーに義務づけるといった処置が必要だと思っていたら、そのようなことの可否を検討していると新聞にも書いてあった。

認知テストは必要なのはわかるが、上で述べたように、何度違反すればとか、また鮫洲ではなく最寄りの教習所とかをテストの会場にするとかしてもらいたい。歳をとってもそれぞれがそれなりに用事があるのだから、個人の自由を上から縛るようなことはしてほしくない。

ただ、事故は高齢者ばかりではない。上の高齢者の事故の後すぐにトラックやバスの事故があり何人かが死亡した。運転者は両方とも高齢者ではなかった。データーによれば「交通事故の発生率は80歳以上も20代前半もほぼ一緒」と書いてあった(平松類『認知症の取扱説明書』、SB新書、2019年、246頁)。

2019年5月某日


呼び出しが来ないから、多分一回の違反では来ないかもしれないと今思っている。言い換えれば今度すればアウトだと思うから、極めて日々の運転は慎重だ。信号に注意、車線変更標識に注意などすごく神経を使っている。これが警察の狙いかもしれない。とはいっても、高齢者でなくても日常的に細かい違反は行われているから、何か高齢者をバッシングしているとも思ってしまう。高齢者でなくても結構死亡事故を起こす事故は毎日のようにニュースで聞く。2019年5月某日には車が歩道に突っ込み園児二人が死亡した痛ましい事故が発生した。それを起こしたのは60歳ぐらいの人だ。

こうなると高齢者事故者の臨時認知テストの意味はもうすでにないのだ。誰でもが車社会ではひどい事故を起こす可能性があることを示している。今回の事故で思うのは信号待ちの交差点の歩道をしっかりガードすることが必要だ。今回のように交差点で事故の発生は高いと思うし、そこでは何人もの人が信号待ちをしているから危険だ。その歩道を防波堤のような頑丈な防御ブロックが必要ではないだろうか。電車のホームに取り付けているガードと同じ考えだ。担当当局にはぜひ検討をしてもらいたい。
臨時認知テス(2019年1月某日)


 高齢者臨時認知テストの手紙が舞い込んだ。
私は臨時にこのテストを受けなければ免許取り消しとなるというお上の通知だ。このお上は絶対権力者だから運転を継続するつもりなら絶対に逆らえない。
 テストを受けなくてはならない理由は、交通規則に違反したからだと紋切り型で、具体的には書いていない。私は前述のような事故を起こしたのが違反なのかもしれない。あるいはその後、車線変更禁止区域で黄色の線が逆光で見づらくて車線を変更したのだが、隠れていた婦警に御用となり、問答無用と罰金6000円ほど取られた。これが理由なのか。あるいは二つの総合でそうなのかなにも定かではない。いずれにしても受けなくてはならないのだ。
 若い人なら、罰金刑だけで済んだのだろうが、高齢者になるほど鞭打たれる感じでうんざりする。認知テストで締め上げて、免許書返納を勧めているのかもしれない。ただ、確かに高齢者ドライバーの事故が目立つから、道路に向かってしっかり注意を促すための作戦ではあろう。それを感じたのは、わざわざ鮫洲の運転免許取得試験場まで行かなくてはならないことだった。そしてテスト30分前までに来ないとテストが受けられない場合もあるといやらしい。私の使う電車路線はたまに遅れるから相当早く家を出た。まったく一日がかりのテストになった。こうなると慎重運転で絶対に違反してはならないと心に呟く。だが、人間は聖書も指摘するように完璧でないから、うっかり事故はつきものだが、私は完全を目指さなくてはならないのだ。
 認知テストの最大の難関は16の絵を記憶しなくてはならないことだ。一枚の紙にトマトとかペンギンとか4つの絵が描かれていて、それが四枚ある。だから16コマの絵を覚えこまなくてはならないのだ。しかもいやらしいことに絵を見た後に違う作業をしてから、その16コマの絵を文字でトマトとかやかんとか表記していくのだ。
 認知テストはいくつもの作業があり、最低で45点以上取っていればパスのだが、私の場合はもう一つの難関があるのだ。それは以前教習所の高齢者講習会認知テストで90点を取っていたのだが、今回のこのテストでそれより悪いと私は教習所で2時間の講習を受けなくてはならない旨、赤字で呼び出しの書類に記されていた。これがプレッシャーなのだ。それは講習会がいやだというのではなくて、教習所が遠いので、それを受講するのに半日も時間を費やしてしまうからだ。教習所で75点だった人はそれ以下でなければよいのだが、私はこの鮫洲のテストでは90点取れるかどうか自信がないのだ。なぜならここは試験場だ。要するに警察場だから神経をピリピリさせていてどこまで暗記できるかが心配なのだ。これは皮肉な現象だと思う。教習所で一生懸命認知テストを受けて良い点を取ったのに、それがあだ花になる可能性もあるからだ。
 30人ぐらいの高齢者ドライバーが教室に入りテストだ。みな緊張している。いくつかのテストの後でいよいよ16個の絵を覚えこむ作業だ。最初の絵は戦車、太鼓、目、ステレオだった。どういうわけか16の絵がスート頭にしみ込んだ。テストがすべて終わり、20分後に結果の発表だ。私のは98点だった。ほぼパーフェクトでホッとした。あとから思い出したが「やかん」の絵が脳に浮かんでこなかったのだ。
 こういった具合だから、この臨時の認知テストは高齢者に対するきつい締め付けだ、高齢者いじめだと感じている。でも高齢者の事故が多いから仕方がない。高齢者の運転には最大の神経を使わなくてはなるまい。
命のありがたさ(2018年12月31日)


 雪の高速道路でトラックがスピードを出しすぎスリップして路肩の車に衝突、2名死亡(12月30日)。タクシーが路地から道路を横切ろうとしたところに右から来た車が衝突、3名死亡(12月某日)。
 私はこの頃やたら車の事故による死亡記事に目がいく。これは本当に痛ましい死だ。人生が一瞬にてそこで断ち切られるからだ。実は、私にもそうなる可能性の事故が発生したので、他人事とは思えず身につまされているのだ。仕事や人とかかわっている時は気が紛れて良いのだが、一人になると何か鬱っぽくなり事故によるみじめさが心を暗くしてしまう。でもそんな気持ちに負けまいと、自分を打ちたたき、この出来事を綴っている。
 12月某日、クレーン車が右横後ろ座席に突っ込み、そのアームが窓と後ろドアを壊し、運転している私の後ろ30センチのところで止まっていた。車はゆがみおしゃかとなり、廃車だ。私の車は身を犠牲にして私を守ってくれたのだ。犬の勇太も守られた。後ろの座席は割れたガラスの破片が散在したが、けがひとつなかったのは幸いだ。もう一つは勇太はいつも後座の進行方向左側に臥せているから、車の進行方向右側面に左から突っ込んだアームが当たることはなかった。本当に良かった。運転手がもう一瞬気が付くのが遅ければ、車は串刺しになり私の頭は潰されていたのだ。本当に恐ろしや、今振り返ると心臓が縮みあがる感じがしている。
 事故の発生は私の過失と言われても仕方がない。6分が私、相手は4分と思う。いつもの路地から通りに出るのだが、その通りの先にある信号が青に変わったときに私はウインカーを出し、割り込むべく、そこにいたクレーン車に目線を送って挨拶して割り込んだのだ-いつもそうしている。少し入ったところで突如後ろでめきめきと異様な音がしてクレーンが突っ込んできたのだ-。多分私の合図に気が付かなかったのだろう。この手の運転席は高部にあるからこちらを見えるはずだが、左側にアームがあるので見づらく、私は慎重にその車が動かずに止まっているのを確認してから割り込むべきだったのだろうが、実際は私の方は少し動いて、入る意思を伝えないといつまでたっても割り込めないという事情もあるのだ。
 相手が悪かった。鉄の塊のような重機だ。少し接触しても普通車は深手を負う。また普通車に比べ、左方の視界は悪いだろう。そのような車だから、もっと慎重に、割り込まなければならなかったのだが、後の祭りなのだ。
 あのアームがあと30センチ突っ込んでいたら私の頭は潰されていたはずだ。それで冒頭で述べた車による死亡事故の報道に目線が走るのだ。私は死を免れたのだから、あの位置で止まってくれた運転手に感謝すべきかもしれない。いずれにしても車は怖い。大事故は一瞬にして死に直結するからだ。私はまだ社会的責任もあるので今一瞬にして死ぬわけにはいかないのだ。
 人生は本当に先が見えないものだと感じている。死ぬときに死ぬのは仕方ないのかなとも思うが、わたしにはもっと生きてやるべき仕事をせよとの神の思いが危うい事故から死をすり抜けて生者の方へと行かせてくれたのだという思いが強くある。あと何年生きるかわからないが一日を強く行きたいと願っている。
 ただ、行動には車がいるから新たに適当な物件を物色しなくてはならない。

名前は「まりやののり弁の大盛りだ」(2018年11月21日)


 時々弁当を買いに来るおじさんは、大概酔っぱらっているが、威勢が良くて、キリスト教を良く褒めてくれる。そして自分の名前は「まりやののり弁の大盛りだ」とご機嫌だ。大盛りは一回では食べきれないから明日の朝に半分食べると、大盛りを買う理由を解説してくれる。
 この大盛りは他所では特大に相当するだろう。430グラム入っているが、今は400グラムにしている。お米の入荷次第で盛る分量を調整する。お米が沢山集まる場合は多くして在庫を調整するのだ。基本的に絶対量が多いから30グラムの減少はおじさん達にも問題にはならない。中には卵焼き弁当の大盛りとのり弁の大盛りを買う人がいる。二つで800グラムだ。持つと結構どしっとする重さだ。これなども2度か3度に分けて食べるのだろう。今年の夏は暑さが激しかったから、大盛りを注文する人も中盛となってしまった。10月末から急に涼しくなり、11月は寒い日もあるようになってきて、ぼちぼち大盛りの人が増えてきた。食欲が増してきたのだ。また寒くなれば、体がカロリーを欲するから空腹感の刺激で大盛りがほしくなるのだ。大盛りが立て続けにあるとおかまの飯は瞬く間に減ってしまう。本当に食欲の秋なのだ。
 サラリーマン風の人が買いに来た。のり弁の普通を注文した。「出張ですか」と尋ねると、取手の方だが、明日早いからこちらに泊まるらしい。山谷のホテルは安いからいろいろな用途に利用されているようだ。
ガラスの脚(あし)(2018年9月6日)

勇太が脚を痛めて一カ月たち、やっと普通に歩けるようになった。ただ、500メーターぐらい歩くと跛行(はこう)になってしまう。

元々右前脚はどういうわけか弱い。触ると嫌がる。といってねじっても押しても痛いとは言わない。変な感じなのだ。時折朝、散歩のときその脚をビコタンしている。きっと寝違えたのかなと思っている。人間も寝違えたり、ぎっくり腰があるから同じような現象なのだろう。

勇太の日課は散歩を終えてから体を拭き、ブラシをし、歯磨きをして、足を洗い、二階に上がり、テーブルの周りをかけ、ボール遊びをしてから食事をするのだ。ところが、その朝は運悪く簡易冷蔵箱を広げ干していた。現場は見ていないのだが、多分それの飛び越えに失敗し、右前脚を捻挫でもしたのだろうか、今までにない最高の悲鳴をあげてこちらに来るではないか。右前脚は床につけないで、上げっぱなしだ。それは人間の場合で言えば、膝とももをすこし上げて足を浮かせている状態で、いかにも痛そうに鳴いている。かわいそう。

そんな状態だから、次の日からはおしっことウンチをしたら散歩はおしまいだが、歩くときはビコタンだ。できるだけ右前脚に負担をかけないように、その足を出した時はそっと着地して、素早く左脚を出すのだが、右脚の付け根に痛みがあるせいか着地すると、痛みを避けようとガクッと体が前のめりになるから、私は胴につけたリードを持ち上げて右足の負担を軽くする。

痛そうだな~
勇太も毎日、まりや食堂に行くが、車で出勤帰宅の超過保護にした。一週間しても進展がなく病院へ。医者がその脚を引っ張ったり、押したりしても勇太は痛がらない。本当に変だ。体重をかけると痛いのだろう。痛め止めをもらうだけだった。それでも散歩のときはひどい跛行だ。一カ月たち、やっと少しビコタンが良くなった。心配したが、このまま治ってくるのだろう。

本当にこの脚はガラスのようだ。今後は用心してこの脚に負担がかからないように、あまりはしゃぎすぎないように注意しなくてはなるまい。