倍賞千恵子さんの話 (2021年12月30日)


 この人は私と同じ生まれ。80歳。日経の羅針盤の取材の内容(2021年11月26日号日経)に共感した。

 この人は若い。「年齢は数字にすぎない」と言う。私もそれに共感するのだ。私も若いと言われる。だから実年齢と暦の年齢は乖離(かいり)していると思う。それでこの人の言葉に共感した。簡単で人さまざまだ。暦よりぐっと老けている人もいる。それぞれの体質や環境や運動などさまざまな条件でその人の実の年齢は決まるのだろう。私は年齢などは意識しないで空手、ボルダリング、スノーボード、テニスなどをしている。多分これが実年齢を決めているのだろう。これらは趣味とまりや食堂を守るための体力作りなのだ。結果としてこのことが体を若くしているのだろう。今の私には、癌と交通事故が一番命を失う機会かなと思っている。それまでは生きられる間は生きるつもりだ。

 倍賞さんはその生きることについて、「死ぬこととは生きることです」という住職の言葉に目覚めた。人は死ぬけど死ぬ瞬間まで生きている。だから生と死は繋がっている。そうか死ぬまで今まで通り生きて行けばよいのだと日常を自然体で歩んでいる。

 私もこの考えに共感している。一生懸命に生きていればいつかは肉体は枯れる。自然消滅だ。コスモスを見ていると、花が咲き、またほかの場所からも咲き、花びらが散り、立ちながら枯れていく。それが生命現象なんだと思うのだ。だから今日も一日頑張る。その生を歩み続けていく、その生がその過程で少しずつ枯れていくのだ。その現象の一つが私には忘れっぽいことだ。もともと忘れっぽいが最近は少しそれが深まった。体力は増した。知力も増した。これは年の効果かもしれない。少し根性が無くなった。だが読書力は強くなった。読みづらい本でも忍耐して食いついていける。腹の調子は少し良くなった。酒量が少し増した。肝臓はまだ健全だ。生きる、生きる、その先に自然がある、自然に帰るのだ。それが生命現象だ。これで完結する。大地はまた新しい生命を生み出す。

 高齢者講習会について (2021年10月9日)

 

運転免許更新で高齢者(75歳以上)は認知テストと講習を受けなくてはならない。

それは仕方がないのだが、この二つの事がばらばらに実施されるので迷惑だ。このために二日間も取られるからだ。この二つを一緒に同日に同時場所で行えばよいのだ。

認知テストは鮫洲などの警察の管轄で行われる。別に認知テストにお上の権威などいらないのだ。要するにそのテストに合格するかしないかの話だけだからだ。

高齢者講習会はあまり意味がない。講習はビデオを見る事と目の検査だけだからだ。

実地の実習があるが、普段あまり運転しない方や、ペーパードライバーには意味がないと思う。教習場運転だが、ただの一回切りだから意味がない。やりましたというアリバイだけだ。そういったあまり運転していない人には義務的に月一回とか教習場で運転の義務化とか運転技術の強化が必要だと思う。

私は毎日運転していても、運転には危険が伴うと日々感じているからだ。

講習については、警察か教習場から自宅に運転規則の練習帳などを送り自主的に、学習する方がましだと思う。

まりやは身を引き締めて (2020年1月21日)

 

まりや食堂は身を引き締める

1月下旬コロナはまん延している。東京は日に2000人だ。

まりや食堂では引き締めるように職員に話をし、ボランティアの振る舞いがより用心深いようにすることを指示した。

これは、2月下旬か3月からワクチン接種ができるとニュースが報じていたことに対する対応だ。間もなく接種ができるのだから、今が用心のしどころなのだ。慣れっこになり防備が甘くなりがちだから、今こそ手洗い消毒うがいを良くすることがまりやに来た時に求められる。さらに厨房における作業も三密を避け、おしゃべりを避けなくてはならない。作業後の一服もお菓子をほおばったら素早くマスクをして三密を避けなくてはならない。

用心に用心をしてワクチンの接種を待つのが良いのだ。

私はかなり前からワクチンだとわめいてきた。治験とか安全性とかを、100パーセントする時が今はないのだ。それが日本はお役所仕事でもたもたぐずぐずだ。その結果コロナがパンデミックになり、経済が縮小してみな苦しくなった。GoToをするんだったら一緒に接種もするような方向でやれば、GoToはやれたし経済もそこそこになっていたはずだ。

役所は治験をきちっとしないで事故が多発して批判されるのを恐れる根性なのだ。

行政大臣の河野さんが抜擢されワクチンの段取りをする。縦割り役所の弊害を打破してやってほしい。これで男を上げれば首相の座をうかがうことができる。がんばれ。