癌を叩く 追憶の勇太(2019年12月9日)
闘病の勇太の事
うつっぽい日が続く。内憂外患だ。すべてがすっきりしないからだ。唯一慰めは出版した絵本がよく売れていることだ。これは多くの人の協力に負うところが多い。
まりや食堂の働き手は老人化した。すこし人を動かしているがすっきりはしない。いっぽ(犬の勇太)の状態は不明だ。投薬で肝臓や腎臓が悪くなっているが、薬を抑えても、悪い状態に変化がなく、抑えた分癌が勢いを盛り返している。
医者は思い切って強い癌の薬を使って、様子を見ようとなった。私にしてもそれしか選択肢はないと思い同意した。
この先はこの薬の効き具合と体の反応だ。現在、食欲はあまりない。このままではじり貧だ。ただ、この癌が食欲を奪うからいかんともしがたい。命がないものを無理やり生かしてもしょうがないので、無理なら無理で、辛くないように余命を全うさせたい。
このいっぽのことが私を一番悲しませる。食欲がないので、一生懸命に魚や肉を用意していっぽの食いつきを誘うのだが、それらに鼻ずらを持っていくが食べようとはしない。今朝はやっと病人用の缶詰と牛肉の煮たのと、とりとジャガイモの煮たのを少し食べた。
もう一つうつなのは潜血検査でプラスと出たことだ。去年もそうだった。内視鏡を入れて検査だが、これが大変だ。腸をからにするために下剤を大量に飲まなくてはならない。結構体と精神に負担だ。
そういったわけで気分は良好とはいかないが、これらの事実は避けられないので悲しみながらも前に進んでいき、やるべきことは的確にしていくつもりだ。
ただ、勇太についての慰めは、いっぽの世話が結構面倒で、おむつをしたり、5時間ごとに外へトイレをさせたり、これの食材を買い手作りで作るなど、私自身も忙しくしているので、けっこう大変なのだが、こうして尽くせるのもいっぽがそれなりに生きているからで、こういった世話で私は、慰められ癒されているのだろう。
甲斐(前に飼っていた犬)は突然死だったので心が強く傷つき今でも癒されない。非常に愛していた宝が突如奪われたからだ。甲斐は体が弱く心を尽くして世話をした犬だけに私の心に住んでいたのだった。その点で勇太はぐずぐず生きて面倒だが、それだけ手を尽くしたと慰められるだろう。私には友達がいないから、勇太がいなくなればとてもさびしくなるだろう。
朝自転車でまりや食堂に着くと、「犬は?」といつものおじさんがコインランドリーの入り口から声を掛けてくる。「病気で家にいるの、癌なんだ。助からないかも。」おじさんは「生きているものはみんな死ぬからな」と哲学者風だ。彼は存在の意味を知っているのだ。彼は毎日卵焼き弁当を買いにくる人だ。野宿をしている。だから卵焼きは真っ黒に焼いてくれと注文する。そのわけは翌朝食べるので、傷むのを心配して、よく火を通すことを願っているのだ。