名前は「まりやののり弁の大盛りだ」(2018年11月21日)


 時々弁当を買いに来るおじさんは、大概酔っぱらっているが、威勢が良くて、キリスト教を良く褒めてくれる。そして自分の名前は「まりやののり弁の大盛りだ」とご機嫌だ。大盛りは一回では食べきれないから明日の朝に半分食べると、大盛りを買う理由を解説してくれる。
 この大盛りは他所では特大に相当するだろう。430グラム入っているが、今は400グラムにしている。お米の入荷次第で盛る分量を調整する。お米が沢山集まる場合は多くして在庫を調整するのだ。基本的に絶対量が多いから30グラムの減少はおじさん達にも問題にはならない。中には卵焼き弁当の大盛りとのり弁の大盛りを買う人がいる。二つで800グラムだ。持つと結構どしっとする重さだ。これなども2度か3度に分けて食べるのだろう。今年の夏は暑さが激しかったから、大盛りを注文する人も中盛となってしまった。10月末から急に涼しくなり、11月は寒い日もあるようになってきて、ぼちぼち大盛りの人が増えてきた。食欲が増してきたのだ。また寒くなれば、体がカロリーを欲するから空腹感の刺激で大盛りがほしくなるのだ。大盛りが立て続けにあるとおかまの飯は瞬く間に減ってしまう。本当に食欲の秋なのだ。
 サラリーマン風の人が買いに来た。のり弁の普通を注文した。「出張ですか」と尋ねると、取手の方だが、明日早いからこちらに泊まるらしい。山谷のホテルは安いからいろいろな用途に利用されているようだ。
ガラスの脚(あし)(2018年9月6日)

勇太が脚を痛めて一カ月たち、やっと普通に歩けるようになった。ただ、500メーターぐらい歩くと跛行(はこう)になってしまう。

元々右前脚はどういうわけか弱い。触ると嫌がる。といってねじっても押しても痛いとは言わない。変な感じなのだ。時折朝、散歩のときその脚をビコタンしている。きっと寝違えたのかなと思っている。人間も寝違えたり、ぎっくり腰があるから同じような現象なのだろう。

勇太の日課は散歩を終えてから体を拭き、ブラシをし、歯磨きをして、足を洗い、二階に上がり、テーブルの周りをかけ、ボール遊びをしてから食事をするのだ。ところが、その朝は運悪く簡易冷蔵箱を広げ干していた。現場は見ていないのだが、多分それの飛び越えに失敗し、右前脚を捻挫でもしたのだろうか、今までにない最高の悲鳴をあげてこちらに来るではないか。右前脚は床につけないで、上げっぱなしだ。それは人間の場合で言えば、膝とももをすこし上げて足を浮かせている状態で、いかにも痛そうに鳴いている。かわいそう。

そんな状態だから、次の日からはおしっことウンチをしたら散歩はおしまいだが、歩くときはビコタンだ。できるだけ右前脚に負担をかけないように、その足を出した時はそっと着地して、素早く左脚を出すのだが、右脚の付け根に痛みがあるせいか着地すると、痛みを避けようとガクッと体が前のめりになるから、私は胴につけたリードを持ち上げて右足の負担を軽くする。

痛そうだな~
勇太も毎日、まりや食堂に行くが、車で出勤帰宅の超過保護にした。一週間しても進展がなく病院へ。医者がその脚を引っ張ったり、押したりしても勇太は痛がらない。本当に変だ。体重をかけると痛いのだろう。痛め止めをもらうだけだった。それでも散歩のときはひどい跛行だ。一カ月たち、やっと少しビコタンが良くなった。心配したが、このまま治ってくるのだろう。

本当にこの脚はガラスのようだ。今後は用心してこの脚に負担がかからないように、あまりはしゃぎすぎないように注意しなくてはなるまい。

新刊のお知らせ 2018年7月15日刊行

  続 この器では受け切れなくて

   山谷兄弟の家伝道所物語


   菊地 譲(著)



2018年7月15日刊行(予定)
四六判・368頁・1,800円+税
ISBN978-4-907486-74-7 C0016


発行 株式会社ヨベル YOBEL Inc.
〒113-0033 東京都文京区本郷4-1-1
Tel 03-3818-4851 Fax 03-3818-4858




キリスト教関係の書店にて販売
また、まりや食堂でも1400円(税込、送料込)でおわけします。
電話・Faxでご連絡ください。

連絡先 まりや食堂    電話/Fax 03-3875-9167

◆全10章の内容
1 私への啓示
 私が支援者から時折言われたことは、山谷で日雇いをしたり、食堂 を作ったりするのはわかるが、妨害に対して空手を習ったり、空手の けがで入院するまでして山谷の伝道にこだわるだろうかと。
 山谷での神との出会いには、特別な意味があったことを述べること で、その疑問に応える義務があると考えた。この本が多分最後になる だろうから、神の凄さを示したいと考えた。
2 永伊(仮名)さんと共に
 彼との10年以上にわたるかかわりを淡々と書いた。
3 お弁当販売
 弁当販売のカウンターで会計をしている時、おじさんとの一期一会 的かかわりを通して生み出された会話を拾って述べてある。この窓口 を通して体験した山谷の様子を皆さまに紹介し、その出来事を分かち 合えたらよいと考える。
4 アウシュビッツの普遍性
 有名な「夜と霧」を取り上げ、感想を述べている。この本で印象的 なのは「いい人は帰ってこなかった」というくだりだ。今日、中東で 悲惨な内戦や爆弾テロが多く、パレスチナでもパレスチナ人が人権を ないがしろにされているような状態の中で、フランクルのこの言葉は 非常に重い響きを持っている。
5 創造の神秘
 旧約聖書の神が創造をきわめて良かったとか、支配せよとか言っていることなどを取り上げ東日本大震災について考察している。
6 ボルダリング
 今はやりのボルダリング。人工の壁を上るスポーツ。結構頑張ったが、爪の故障や湿疹でやめてしまった。 30年前山谷に来た時、目の前にそそり立つ壁のように、山谷の様々な現象が見えた。
7 存在について―サルトルとの対話
 人間の意識は自分と向き合っているから対自存在と人間を規定する。
——私には人間は対自存在としてだれもが平等だと感じている。
8 殉ずる
 高田さんは交通事故を起こし、交通刑務所に収監され出所後、行き場がなく山谷に来た。 ——ここで紹介している高田さんは2017年の冬に亡くなったと聞いている。どこに埋葬されたかはわからない。
9 神へ生きる勇気―日々の黙想
 ヨブは不幸に絶望したのではない。公平に扱われていないことを嘆 くのだ(10・ 23)。裁きの座を要求し、なぜ自分をないがしろにする かを聞きたいのだ。ヨブの気性の激しさに圧倒される。
10 勇太
 この犬を買ってきたときは気が荒く、家内にはなつかなかった。私 は懸命にえさをやりなだめすかしてしつけをした。それで私にだけは 従順だ。
——まりあ食堂の日々を中心にして——
はとの死(2018年6月8日)

 朝の散歩のとき、公園の脇ではとが猫に襲われていた。丁度私たちがそこを通ったので猫は逃げて行ったが、はとは羽をばたつかせ50センチほどの生け垣に上がっただけであった。見たところ怪我はしていないようだが、多分病気などで弱って飛べないところを猫に襲われたのだろう。
 屋根の上にはカラスがこちらの様子を見ている。多分このカラスもこのはとを狙っているのだろう。自然界の淘汰の激しさを感じる瞬間だった。多分、私たちが行ってしまえば、カラスの餌食になってしまうのだろう。
 私は、鳥の飛ぶ姿を見ていつもすごいと思っている。うちに来る雀でも、庭にまいたお米を食べに来るが、隣の屋根からすっと降りてくる。人間はそうはいかない。屋根に上ることもできないし、上るのはとても危険だ。そこからすっと塀越しの庭に着地するのは人間には無理だ。羽があるって素晴らしいなといつも感心している。
 だが、一方では鳥の生活の厳しさを想像する。例えば、渡り鳥だが、よく見かける燕にしても、皆元気そうに飛び回り、子供のために虫などの狩りをしている。そうした元気な燕を見るが、元気でない燕はいないのだろうかと思う。多分渡りの途中で、日本まで飛行できない燕は海に落ちしまうのだ。ここにも自然の淘汰の厳しさを思う。
 羽があることをうらやましいと思うが、羽のあるゆえに、さまざま理由で飛べなくなれば、羽で生活を営んでいる生き物は、生きることを中断せねばならないのだろうと思う。ここにこの種の生きる厳しさを感じる。いつぞやは玄関に雀の死骸があった。ある時はムクドリの子供が二匹も死んでいた。自然の残酷を感じている。
 他方では、雨降り朝、こないだ手に入れたバラの葉はみずみずしく生を輝かせていた。鉢植えなので、地面に下したいと思っている。植物は人間と作られ方が違うから、枯れてもあまり悲しいとは思わないが、生き物は構造が近いから、何か他人事とは思われない感情がその生き死に湧いてくるのだ。
 自然界では自然淘汰として弱いものが強いものに食べられ無になっていく。人間界でも同じことが展開されていると思う。人間界にもし烈な競争があり、昨今では経済淘汰に厳しいものがあるのではないだろうか。企業がさまざまな理由から、競争に負けて淘汰され、合併とか、買収とかがある。最近ではシャープの台湾企業による買収が目についた。要するにこれは、弱い企業が強い企業に食われてしまったのだ。これは一つの例でしかなく、人間の世界は、あの弱ったはとの先が絶望であるよりも、もっと厳しい社会であることを示している。
 それは人間にも言える。競争社会では人々の競争は激しいものがあるだろう。
要するに人間どうしで食い合っているのだ。強い者は弱い者を食べてしまう。言い換えれば強い者が沢山の収入を得て、弱い者は生きるすれすれのところで生活せざるを得なくなっているのではないか。これが現代の強欲資本主義というものだ。



あずき
きなこ
英語が読めないかも(2018年5月15日)

 都電荒川線がある。都電はこれだけ。三ノ輪から早稲田までだ。結構混む。年輩が多い。座席の前後には優先席がある。私は年だから座るのだが、二つある前方の席に外人の頭が見えた。角刈りだから若いと見た。白人だ。その横にお年寄り優先と書いてあり英語(Priority Seat)と中国語でも書いてある。絵もあって妊婦や老人が描かれている。
 終点の早稲田に着き、降りる時に若造と確かめてから、「この席はプライオリティー・シートよ」と言ってあげたら「オーケー」とシャーシャーしていた。早稲田で降りたから大学関係者とかその辺りの英語塾の出稼ぎかもしれない。「オーケー」と言ったが、白人にしてはきっと英語が読めなかったのだろう。今日本には観光で来る外国人が多いから気をつけなくてはならない。

背広(2018年4月28日)
時々弁当を買いにくる顔見知りのおじさんが黒づくめの背広をもちろんネクタイもして、お弁当を買いに来たので驚いた。「すごいね、盛装してどこかに行くの」「これ、タクシーの運ちゃんの服なんだ」。
彼の話によると、今そこにタクシーを止めて弁当を買いに来た。なんでも日雇いの仕事をしたりタクシーの運ちゃんをするらしい。「じゃ東京の地理は詳しいのね」と聞けば、長くしているから大概は知っているらしい。
よほど前もそんな話を聞いたことはあったが、もしかすると日雇いのタクシードライバーかもしれない。私が日雇いをしていた時分には、日雇運転は玉姫の職安が募集はしていた。私も2、3度はその仕事をしたことがあったが、タクシーはなかったと思う。これは確か2種免許がいるから普通の人は持っていないだろう。
彼は時折タクシーを時折は日雇いをしているのだろう。その感覚は分かる。つまりタクシーはほとんどが夜勤だから実入りはよくてもきついだろう。それでドライバーがいやになれば日雇いの仕事に入るのだろうと思う。山谷は老人の街とは言えまだまだ日雇いの仕事はあるようだ。仲間から行ったり、おやじが山谷に来たり、おやじのところに電話をしたりしていくのだろう。なんといっても日雇い労働者は、親方にとっては便利な労働力だ。若干単価が高くてもいる時使い、そうでない時は雇う必要がないから、人件費がとても安くつくのだ。
ちょっと話をしていて驚いたのは、この人はまりや食堂の創業(30年前)のあたりを知っていたことだ。「喫茶店をしていたんだよな」と言うではないか。まさにそうなのだ。コーヒー屋をした理由は、私もコーヒーが好きだったから、まったくの素人が食堂を始めるには客に慣れなければいけないと思い、好きなコーヒーにトースト、卵焼きの喫茶店から始めたのだった。私は顔を覚えていないが、この人もその時の客の一人だったのだ。何とも懐かしい。この人はそれからそれなりに働き人生をエンジョイして、今こうして背広で出会ったのだ。
缶集め(2018年4月23日)

玉姫公園
弁当にくるおじさんの何人かは缶集めをしている。聞くとキロ126円と言っていた。競争が激しく大変だと言っていた。この写真の人の缶はいっぱいだが20キロあるのか聞くと16キロぐらいだと言っていた。これで生活するのも大変だなと感じた。
町内では不平を言う人もいるが、様々に人は生きなくてはならないのだ。
お弁当を買いに来る人で缶集めをしている人は数人いる。缶の収入はそこそこだがそれなりに稼ぎ、まりやの弁当を買ってくださっている。
その中の一人は隅田川沿いで寝ているという。狸が出るらしい。
風光る(2018年3月28日)

 「風光る」は俳句の季語だ。日常的に使わない言葉だが、春の姿を風は光っていると表現した美しい言葉だ。
 今年は寒くうんざりした。沢山着込み、重たく窮屈だった。愛犬、勇太を荷台に乗せて山谷に行くが、寒いので人間並みに洋服を着せ、エリマキをし、マントをかけてやる。自分の支度や犬のそんな支度で結構時間がかかる。
 やっと気温が上がって今日は薄着、勇太も本毛皮だけだ。私にとって本当に啓蟄といった感じだ。厚い防寒着と裏地のあるズボンから脱出したなーといった感じだ。
 陽気が良くなって、お弁当を買いに来るおじさん達もやっといつもの人数になってきた。ドヤに籠っていたのが、やっと出てきたのだ。今までは、比較的暖かな昼間にスーパーやコンビニで弁当を買うなどしてドヤに早くから籠っていたのだろう。いつもの顔がずらり並んでいると、私も元気が出て、「いらっしゃい、いらっしゃい」と声に元気がこもる。春は本当にいいなと感じるようになるほど、私も年を取ってしまったのだろう。
殺されるよ(2018年3月8日)

お弁当を買いにくるおじさん
お弁当販売のまりや食堂のカウンターで私は会計をしているが、よく見かけるおじさんが時によれよれの1000円を出す。「今日、仕事?」と聞けば高齢者用の仕事に行ったとのこと。それは玉姫職安が出す高齢者用の楽な仕事だ。単価は安いが楽だ。それはいつもあるわけではないらしい。季節による。
 その人は今日、卵弁当を買いながら「殺されるよ」と私につぶやく。「うん?」「高齢者の仕事が切れたんだ」と辛そうに言う。昨日はこの人は乾パンを取りに来ていた。
 もう年できつい仕事はできない。生活保護は寮に入れられるから集団生活は苦手で、だめなんだといかにも気が弱そう。
私たちにできることはと言えばあまりない。一番安いのり弁を買っていただくか、時折出す乾パンを食べていただくか。炊き出しで何とか食を繋ぐかだ。山谷周辺でも週に何回かはしているからそれで繋ぐしかない。
 今度うちの前の掃除を頼んで弁当を提供してみようかと思っている。これは以前にも幾人かに頼んでしたことがあったが皆途中で切れてしまった。このおじさんが希望すれば聞いてみようと思っているがそれ以来弁当を買いに来ない。
まりや食堂の動き(2018年2月18日)

 月曜日の開店の希望がおじさん達からチラホラあるから、私としては都合をつけて月曜日を再開するにはどうするのが良いかを考え始めた。毎日は無理でも月に一回とか二回するのはどうかなーと考えている。問題は専従者との兼ね合いで、専従者に負担をかけないでするにはどうしても新しい半専従者が必要だ。月曜日フルタイムで責任を持ってしてくださる方が必要なのだ。その可能性が現在出てきてはいる。
 現在四日にしてから若干ボランティアがダブる日もあるので、そういったところも調整してもう少し開店を増やすことができるかどうかを考えている。
 月曜日休みにしているから、発想を変えて旗日を全部休みにするのではなくて、時折開店とするのはどうだろうかとも考えている。
 という具合に、いろいろと頭の体操をしている段階だ。

週4日の悩み(2018年2月2日)



まりやのシャッターの張り紙
 「いつから月曜日はやるの」と何人ものおじさんに聞かれる。窓口で会計をしている時の出来事だ。「ううん」と一瞬つまってから「すまないね、人手がなくて、当分できないと思います」と返事をするしかないのだ。もうずーとしないとまでは言い切れない気分なのだ。それはおじさん達の言葉の響きには、早く再開してもらいたい思いが感じられるからだ。
現実は人がいなくて、この“人”とはその日を切り盛りする人(当然有料)の事だが、その人がいなくて、一日潰したのだが、そんなおじさんの声を聞くと何とかしなくてはならないのかなと思ってしまう。まりや食堂は当てにされているのだ。
 対策として、時折祝日を営業しようと思う。その日臨時に切り盛りする人(有料)とボランティアが集まれば、私がその日を取り仕切ればできる。同様な方法で、たまには月曜日を開いてもよいだろう。
そんな風におじさんの事を気にかけているが、と言っても彼らも結構ドライだ。炊き出しとかち合えば客は半減し、生活保護費の支給日から数日はガラガラだし、なかなか難しい。おじさん達にも生活が懸かっているから、それぞれが考えて行動をしているのだろうと思う。だからまりや食堂も先ほど述べた考えを再考するとか、もっとアイデアを考えながら、無理をしないでまりや食堂がやれることをやっていくのが良いのだろう。その方が長持ちしそうだ。
 私たちの活動がいつまでできるかはわからないが、まりや食堂の全てが老人になりこの先どうなることやら。
 この資本主義社会の競争の厳しさをひしっと感じることがあった。それは最近まりや食堂から自転車で10数分の所に安売り大手のOKストアができたことだ。その場所は隅田川沿いなのだが白髭橋と言問橋の中ほどにある。この辺りは川沿いにマンションが立ち並んでいるから、スーパーにとっては良い場所だと感じていたが案の定できた。ただ、山谷の私たちが利用するスーパー島田屋の支店が、この新しいスーパーと近いから競争が厳しいなと感じている。島田屋も安いが新規の店は安売りが売りだから、この支店は倒産するかもしれない。私の住まい付近でもスーパーが幾つもできて、老舗のスーパーが倒産し、マンションになった。

 まりや食堂はこの先どうなるか。


まりやの通りから見たスカイツリー
戦艦のようなスーパーだ


いろはアーケイド街(2018年1月15日)

 いろはアーケイド街の両側に店があり、その中の通りを覆っているアーケイドがある。雨の日なども楽に買い物ができて重宝なのだ。夜はそこが野宿者の宿泊場所としてもってこいだった。雨は当たらないし、風も強くは吹かないし、そこで結構大勢の人が野宿していた。私がこのアーケイド街のビルの一部屋で伝道を始めた30年前にはすでにあった。
ここは今のまりや食堂から歩いて5分ほどの近さにある。こないだ(2018,01,13)いろは通りに行ったら、そのアーケイドが撤去されつつあったのには驚いた。この通りは700メーターほどあるが、すでに半分は撤去されていて、そこから空が見えた。
 わたしは何か時代の流れを感じてしまった。山谷は日雇い労働者の町だった。野宿者も多かった。多分日雇労働者と野宿者は関連していると思う。日雇いができなくなったり、日雇いの仕事がない時に一部の人たちが野宿者となり慣れ親しんだこのあたりで野宿をしていたのだろうと思う。いろは通りの商店街で日雇い労働者が日常の生活品の購入に沢山のお金を使っていた。そういった労働者と商店街の関係で街の人にも人情があり、いろいろなことから仕事ができなくなり、このいろは通りの商店の軒で野宿しても大概の商店は黙認していたのだろうと思う。そういった事情で今まで長く野宿者がこのアーケイド街を利用していたのだ。
 このいろは通りのアーケイド街は労働の需要と供給のたまり場の一つでもある。このあたりに出張などの仕事のスカウトに親方や手配師が来ているようだ。実際野宿している人からこの間出張に行ったなどと聞いたこともある。私もこの通りで夜親方らしき人の周りに10人ぐらい人が囲んで仕事の番割をしているのを見たことはある。
 大勢としては日雇い労働者の町が終わって老人の街、言い換えれば福祉の街になった今、そしてシャッター街となってさびれている今、アーケイドの維持費がかかるから撤去するのだと言っているらしいが、この大規模なアーケイドの撤去のほうが大変な費用が掛かると思う。街としてはそういった手間をかけて、いろは通りをきれいにしてさびれた街を再生するつもりでいるのだろう。そして撤去は、結果として野宿者を追い出すことになってしまう可能性はあると思う。
 ここで寝泊まりしている人もまりや食堂の弁当を買いに来る。雨の降らない日ならこの通りでも寝られるが、今後この街がどんな対応をとるかが心配だ。山谷の象徴のようないろはアーケイド街がなくなるとは、日雇い労働と野宿者の町としての山谷はもうなくなることを意味するのだろう。
 だが表面からこれらが消えても、日本の経済構造は日雇い労働者の別名短期労働者を必要としているし、いろいろな事情で仕事がなくて野宿せざるを得ない人たちもいるからまりや食堂の必要性は依然として続くだろう。

Sについて(2018年1月20日)

 卵焼弁当は略してSと伝票に書き、後ろの弁当を用意する人に「エスだよ」と声を掛ける。それで常連の連中は「エスをくれ」とか、「ダイエス(これは大盛りの事)をくれ」とか言う。互いにその方が口数が少なくて済む。知らない人が聞いたら、暗号を使って何しているのだろうと思うに違いない。初めて買う人はSが安いとビックリする。中には本当に助かると、先日仕事で手に入れた千円札を大切そうに出し、Sを注文する。いつもの人がSでなく、定食を注文。私が「おや」という顔していると、「今日は仕事に行った」ので自分にご褒美として定食を食べさせるのだそうだ。
 今記者が来ている。弁当の取材だ。大概取材は断るのだが、この新聞社には世話になっているので、取材を支えた。Sのおじさんに取材したいと言うので、手ぶらでは失礼だから大Sを3度お近づきのしるしに提供して無事に取材することができた。
 1月にカレンダーがたくさんきた。弁当出しのボランティアがおじさんに「カレンダーを上げますよ」と声かけると喜んでもらう人と、「俺には壁がないからいらないよ」と断る人などいろいろだ。
 Sの言われ。卵焼き弁当をどうしてSというか。それは次回のお楽しみに。
週4日のまりや(2018年1月11日)

 1月になり、いよいよまりや食堂は週4日だけ店を開いています。半専従者が都合でやめ、専従者は一人だけになり、週5日通して働くのは無理なので、贅沢ですが週4日にしました。どなたか週1回する人が現れたら再開です。
 週4日になれば、私は少し外回りをして山谷や浅草方面で野宿をしている人に乾パンなどを届けて少しは生活の足しにしていただけたら良いのかなと今考えています。
 今は炊き出しは月1回まりや食堂の販売窓口でささやかにしております。その延長ということで考えていますが、山谷やその周辺の野宿者の状態を学ぶためにも必要かなと考えています。
 冬場は炊き出しが増えたり、寒くてまりや食堂に足を運ばなかったりするためかお客さんはやや少ない状態です。野宿の人も寒くて大変だと思います。まりや食堂は毛布やホカロンを用意して必要な方には提供しています。こないだ毛布をくれと来た方は寒さ焼けとでもいうのか顔が赤黒く焼けていました。多分戸外で寝ているために、零度近い朝方の気温で顔が雪焼けのようになるのかなと思ったりしています。早く春が来てくれたらよいと思います。