すべての存在と共に (2020年12月4日)


ファン・デグォン『野草の手紙』(自然食通信社)を紹介し、感想を述べる。

 この人は韓国人で海外留学生スパイ団事件に巻き込まれ、あらゆる拷問を受け無期懲役刑を科せられ13年2か月後に釈放された(249頁)。その間独房生活を通して体験実践してきたことをこの本を通して紹介する。この人の特異な体験から学ぶことは貴重だと思う。

 「投獄から5年無実を訴え続けてさまざまな抵抗を試みたがすべて失敗に終わり、ファンは心身ともに疲弊しきっていた。絶望の淵で彼はふと刑務所の片隅にそっと生きている虫や雑野草に目をとめた。そしてそこに自らのいのちと連なる生命の営みを見出したのだった(9頁)。」

 想像さえしない罪名に無期懲役という刑に独房でもがき体を壊し、ただ生きるために刑務所の庭の育っていた雑草をむしりとって食べ始めた。ほぼ草を毎日食べているうちに草を研究するようになり草の中に生きる小さな生き物と親しくなった。雑草を食べ元気になった。人間の文明は彼らの助力と犠牲の上に成り立つという(268頁)。

 彼は無実の訴えをさまざまにしたが取り上げられず、独房生活の5年ほどして、自分がしがみついていたものが無意味だと思った時に新しい道が開けた(10頁)。新しい道に導いたのはありふれた野草や虫たち微生物たちだった。それらが息づく低い場所に降り立ち交わりを通して彼は甦ったのだ(10頁)。

 一坪の部屋で自分が宇宙なのだと感じ、部屋を飛んでいるハエ、垂れ下がっているクモも自分の身体の一部、自分が接しているあらゆるものが自分の身体の広がりと認識したという(257頁)。

 身体の一部というのだから、自分の手足と同じ感覚なのだ。自分の手足は大事にするから、同じようにその虫たちも大切に扱うということなのだろう。やはりそこにあるのは共生だ。対等に平等に生きる生き方なのだ。あらゆる存在とつながっていると上で述べた通りなのだろう。

 そういった小さい存在の息づきについて「私は想像しました。わたしが吸う息のなかにはこの世に存在するすべての生き物たちが吐いた息がある。そしてわたしが吐き出す息を他の生きものたちが吸う。呼吸を通じて、存在するすべての生きものたちとつながっていることを、わたしは感じました(11頁)」。

 私はそこまでは思えないが、私は年だしそう長くは生きられないから、小さな生き物に心が行くのだ。それで小さな生き物や野草に興味を持っている時にこの本に出会ったのだ。

 「人間だけでなくすべての生きものが、この世界を美しくするために生まれてきた存在なのです。道端の草や花、その間に生きる虫、そして人間。すべてが同等の価値をもっています。みんな“命の饗宴”というパーティーに招待された存在だと思えばいい。そしてそのなかで自分の居場所を見つけさえすればいいのです(11頁)。」

 すべての命の賛歌を

 どちらかというと迷惑がられる野草について「野草が成長してゆくようすをじっくり眺めてみましょう。けっして、意味もなくそこに芽生えたわけではありません。よく言われることですが、神がこの世を創造されたとき、不要なものなどひとつもつくられませんでした。野草も同様に、すべて自然が、その大地が必要としているからこそ、その場所で育っているのです(257頁)」。(253頁)雑草にも生きる権利があるのだ。

 私は畑がたがやされ黒々と一面に展開しているのを時折見かけるが、少し気持ち悪いと感じている。青いものが一本もないような土ってあるのだろうかと。実際は肥をすきこんで青菜を植え付けるための畑なんだ。でもなんだかこれは土を痛めつけているのではないだろうかと感じる。

 畑が、自然の状態ではなくて、人工的に野菜を生産するための機械的な物質に変えられているような感じがする。雑草は一本もなく、種をまき肥料を上げ、太陽の光線を浴びてものが生産される。なにか偏った土地の使い方のようだと感じて仕方がない。

 農民は言う。わたしが植えたものは作物で、わたしが育てて食べるのもまた作物だ。おまえはわたしが育てて食べようとする作物の栄養を横取りし、栽培の邪魔ばかりする。つまりおまえはわたしの利害に一致しない敵なのだ。わたしが生きるために申し訳ないがおまえたちには死んでもらう(250頁)。こうして雑草は虐げられ農薬でみな枯れた。その結果、その草を食べていた動物生物も死に絶えます(250頁)。今や世界的に農薬の害が問題になっている。

 だが、私には矛盾がある。こんな感想を畑に持っていても、様々な人から野菜の支援がある。農業をしている人や、個人菜園や様々だ。そういった支援で安い弁当に野菜たっぷりの弁当を作り上げられるのだ。でもできるだけすべての存在が大事にされるような自然でありたい。

 存在はすべて同等の価値を持ち共に生きる存在なのだ。この人の言う、生き物が皆共生しているのだと考えるのには共感できる。生きものはみな同類なのだろう。自分が飼っていた犬が二匹ともすでに死んでいる。けれどもいつも二匹の犬を思い出す。自分の仲間だったような気がする。ある時ハエが食卓にまとわりつき離れない。不潔なので追い払うがだめだ。なにかその時にもしかするとこれは雄太(犬の名前)の生まれ変わりかなと思ってしまった。なぜかというと、親しげに私にまとわりつくからだ。何とか追い払って済んだ。

 私はファンさんの発言から聖書の「山上の垂訓」の「思い悩むな」という個所について考えてみたい(マタイ6の25-34)。

 天の父は鳥を養ってくださる(26節)。野の花を着飾っている。それは神がそのように装ってくださっているからだ(30節)。ましてや神はあなたがの面倒を見ている(30節)から、思いわずらわずに、まずは神の義を求めよ(33節)というのだ。

 野の草花については、「あなた方」との比較の対象として言っているので、これらが中心話題ではない。しかし、神はこういった草花をも目に掛け成長させてくださっているというのだ。結局のところ、そういった存在も神の面倒で成長し、中心的な人間も神が面倒を見て成長しているのだ。したがって、神はその意味ですべての面倒を見ていることになる。

 この人はこういった生き物と共生が大切だと説くのだ。これによって地球が存続することになるんだというのだ。今共生が唱えられている。地球を守るために。その思想の一つとしてこの考えもありなのだ。小さい命を守ることが地球を守ることなのだ。






 


命を削る
 (2020年12月4日)

車で山谷に通勤するが、山谷の道路の一角の歩道の縁石でコップ酒を飲んでいる男を毎朝見かける。この調子で一日中飲んでいるのだろう。少し弱ったようだ。以前は歩きながらコップ酒を飲んでいた。それ以前はまりやの前で会えば気軽に挨拶していた。今見かける彼は色が浅黒くなり、しゃがんで飲んでいる。元気がなさそうだ。多分だいぶ内臓がやられているのだろう。

山谷は酒の街でもある。今は泥酔して路上で寝ている人はほぼ見かけなくなったが、朝から昼からよく飲んでいる。自動販売機のそばで飲んでいる。今はもう見かけなくなったが販売機の横で朝いつも飲んでいた人がいた。見るたびに頬がやつれてきた。多分酒と心中するつもりなのだろう。

その気持ちはわからないわけでもない。わたしも晩酌を欠かせないからだ。まあでも入院となれば、酒を断っても平気だからまあ良しとすべきだろう。

最初に触れた人などは、長年見かける山谷の人だが、何か命を削りながら飲んでいるような気がしてならない。少しずつ命が酒によって削られているのだ。多分一向にかまわないので命の最後の一片まで飲んで、満足して自然に帰っていくのだろう。

そんな人は以前もいた。怖い人だった。乱暴者で問題飲酒者だった。いくら酒に強くてもいつかは内臓がやられる。いつからか山谷から姿が見えなくなって、ほっとしている。

日本人は飲み屋が好きなようだと、コロナの件で感じた。感染源の一つが飲み屋で自粛が要請されている。上で述べた縁石で飲み続けている人の例は別に山谷だけでなく、日本中のどこでものことなのだろう。普通の人は目立たないようにしているだけだ。飲み屋がやたらはやることによって、そこがアルコール依存症の予備軍の造成場になる危険性はある。それぞれ自分の力量で飲むのだからとやかく言えないが、早くワクチンが使用できるようになればありがたいと思うだけだ。

  A先生の思い出 (2020年11月25日)

 お亡くなりになって、奥さんから先生の衣類があるとのことで頂くことにした。

 普段から献品で頂いた衣類はバザーをしたり玄関前に置いて山谷のおじさんに提供している。衣類配布は手渡しが良いのだが、人手の都合でできないでいる。

 衣類は買えばそれなりに高い。バザーでは平均300円ぐらい、玄関前に置けば野宿の人や近隣のドヤの人たちが使ってくれる。さほど良いものではないが十分着られるから衣類代が助かる。この方法は大いなるリサイクルだ。一般家庭の使わなくなった衣料が無駄なく使えるからだ。おじさんたちは使い切ったらゴミにして、その衣類は十分役目を果たし一生を終える。

 A先生の衣類には特別の感慨がある。それは山谷兄弟の家伝道所やまりや食堂を立ち上げる際には、ひと方なる世話になったからだ。私は一匹オオカミみたいに生きてきたので、単独で山谷に入り日雇いをしながら伝道を開始した。

 そうした中で、炊き出しの必要性やその後安い食堂設立などを考えていた。立ち上げるのは一人では無理だったが、たまたま知り合った人の紹介でA先生との出会いがあり、展望が開けた。温厚な方でキリスト教会の各方面につてがあり、幅広く支援の輪を広げることができている。そのような活動を通して、借地とはいえ3階建ての教会兼食堂(現在は弁当屋)を作ることができた。ひとえに先生のお支えがあったからだといつも心にとめている。

 その方の衣類だから、形見となる品をいくつか頂いた。こうして世話になった先生の思いが具体的に手元に残り先生の好意をいつも胸に持つことができて感謝だ。沢山頂いた衣類は山谷のおじさんへのバザーと無料配布で使うことができた。生活の厳しい人への思いから私の屋台骨を支援してくださり、こうしてお亡くなりになっても、身に着けていたものを山谷のおじさんに配れたから、きっと先生もお喜びのことだと思う。

 A先生との出会いは40年もの前で、退職、引退などによってつながりは切れていたが、支援者という関わりで、こうした衣類を頂きなにか先生とのいのちのつながりみたいなものを感じている。衣類は物なのだが、それを行為する主体の思いは、そういったところへの思いがあるからで、その思いは一つのいのちなのだろうと思う。そしてそのいのちに、私も帽子の遺品を通して預からせていただいているように思える。それはA先生の未来であったのだ。遺品について話すとき、遺品に触れる時それだけで亡くなった人の未来に関わっているのだ。


 鳩に餌をやる人 (2020年11月17日)

 まりや食堂の前はいつも鳩の糞で汚れている。運悪く電線が幾本もあり止まり木にして糞を落としているのだ。毎朝おじさんがお水とたわしで洗ってくれる。

 餌をやる人は知っている。いつものり弁の大を買っていく「のり弁おじいさん」だ。ほぼ酔っている。鬚もじゃの人で、近所のドヤ住まいだ。山谷では、一人住まいのわびしさから動物をかわいがる人が多いが、この人は隣の駐車場にしゃがみいつも鳩にパンくずを上げている。

 こんな人のおかげで、はとが繁殖し糞だらけとなるのだ。この人に糞のことで注意するのもしづらい。これが楽しみなのだろうと思うからだ。鳩は人懐っこいから親しみを込めて寄ってくる。かわいいかわいいと餌をやるから足元に群がるのだ。楽しいひと時なのだ。これをぶち壊すのもかわいそうだ。この人はこれで心がなごむのだ。

 たわしで掃除してくれるおじさんは「黒卵焼きのおじさん」でまりや食堂では通っている。次の日食べるのでしっかり焼いてもらいたいのだ。このセリフから推し量って路上生活者なのだろう。ある日交渉して、路上に水を撒いてもらえたら毎晩卵焼き弁当を提供したいのだがとおずおずと頼んだら快諾してくれた。

 まりや食堂の周辺はその糞やツバ、タンなどで汚れている。特に糞はひどい。それに隣の駐車場とまりや食堂はヘンスで仕切っているが、このヘンスの場所が道路から少し奥まっていて車が何台も駐車していれば、立小便には恰好の場所なのだ。おじさん達はひっきりなしにそこで用を足すので、臭い。小便がしみ込んで不快な臭いまでする。そこまで水を撒いてもらうために長いホースを提供したのだが最近は怠けているみたいだ。内の人間に頼んで水を撒くしかないだろうと思っている。

 駐車場管理者に強く言えばよいのだが、ここらは皆借地。駐車場は地主の所有なのでなかなか言えないでいる。法が変わり、だいぶ前から地主の権利が強くなったので借りている方は強いことが言いづらいのだ。


癌を叩く 追憶の勇太(2019年12月9日)

闘病の勇太の事


 うつっぽい日が続く。内憂外患だ。すべてがすっきりしないからだ。唯一慰めは出版した絵本がよく売れていることだ。これは多くの人の協力に負うところが多い。

まりや食堂の働き手は老人化した。すこし人を動かしているがすっきりはしない。いっぽ(犬の勇太)の状態は不明だ。投薬で肝臓や腎臓が悪くなっているが、薬を抑えても、悪い状態に変化がなく、抑えた分癌が勢いを盛り返している。

医者は思い切って強い癌の薬を使って、様子を見ようとなった。私にしてもそれしか選択肢はないと思い同意した。

この先はこの薬の効き具合と体の反応だ。現在、食欲はあまりない。このままではじり貧だ。ただ、この癌が食欲を奪うからいかんともしがたい。命がないものを無理やり生かしてもしょうがないので、無理なら無理で、辛くないように余命を全うさせたい。

このいっぽのことが私を一番悲しませる。食欲がないので、一生懸命に魚や肉を用意していっぽの食いつきを誘うのだが、それらに鼻ずらを持っていくが食べようとはしない。今朝はやっと病人用の缶詰と牛肉の煮たのと、とりとジャガイモの煮たのを少し食べた。

もう一つうつなのは潜血検査でプラスと出たことだ。去年もそうだった。内視鏡を入れて検査だが、これが大変だ。腸をからにするために下剤を大量に飲まなくてはならない。結構体と精神に負担だ。

そういったわけで気分は良好とはいかないが、これらの事実は避けられないので悲しみながらも前に進んでいき、やるべきことは的確にしていくつもりだ。

ただ、勇太についての慰めは、いっぽの世話が結構面倒で、おむつをしたり、5時間ごとに外へトイレをさせたり、これの食材を買い手作りで作るなど、私自身も忙しくしているので、けっこう大変なのだが、こうして尽くせるのもいっぽがそれなりに生きているからで、こういった世話で私は、慰められ癒されているのだろう。

甲斐(前に飼っていた犬)は突然死だったので心が強く傷つき今でも癒されない。非常に愛していた宝が突如奪われたからだ。甲斐は体が弱く心を尽くして世話をした犬だけに私の心に住んでいたのだった。その点で勇太はぐずぐず生きて面倒だが、それだけ手を尽くしたと慰められるだろう。私には友達がいないから、勇太がいなくなればとてもさびしくなるだろう。

朝自転車でまりや食堂に着くと、「犬は?」といつものおじさんがコインランドリーの入り口から声を掛けてくる。「病気で家にいるの、癌なんだ。助からないかも。」おじさんは「生きているものはみんな死ぬからな」と哲学者風だ。彼は存在の意味を知っているのだ。彼は毎日卵焼き弁当を買いにくる人だ。野宿をしている。だから卵焼きは真っ黒に焼いてくれと注文する。そのわけは翌朝食べるので、傷むのを心配して、よく火を通すことを願っているのだ。

ぬくもり 追憶の勇太(2020年3月6日)


 いっぽ(犬の勇太)は朝まだふかふかの毛布にうずくまり気持ちよさそうに顔を毛布に押し当ててじっとしている。外の作業で冷え切った両手をいっぽの背中に押し当てるとぬくもりが伝わっきた。生きているって、こういう事なんだと、心が叫ぶ。闘病生活6か月、だめかなーということもあったりしたが、死ねばこのぬくもりは無くなり、冷たい体となってしまうのだ。ぬくもりはいい。ぬくもりを通して命が伝わってくる。ほとんど一日寝ているが、がんばってぬくもりを保持してもらいたい。

スケッチ (2020年5月16日)



勇太のスケッチをしている。たくさんある写真から気に入ったのを選び模写しているのだ。

私がスケッチをするなんて変だが、事実だ。結構うまくいっていると思う。

やはり勇太が懐かしく、手元にその思いをいつまでも置いておきたくて始めたのだ。私は勇太の目が好きで、それを中心に写真を撮りその結果、耳などがない場合など多くてかみさんに笑われる。勇太はいつも私を見ている。じっと見ているのだ。だから目に焦点を絞って撮るのが多い。

ちょうどよい機会だから、似顔絵だとか自然だとか花だとかスケッチをしたいと思うようになっている。晩年の趣味としては結構なことだ。それに写真がある。カメラは家内のお古で、一眼レフのでかいやつだ。それと誰でも取れる簡単カメラもある。

絵を描こうと思った動機にはもう一つある。かいつまんで話す。

ミスマッチで飛び込んできた中年の女性は模写が巧みだった。次回、だそうと思っている本にはたくさんの挿絵を入れようと考えてたが、この人にも挿絵を頼むことにしたのだ。

この人は精神的に少し問題がありそうだった。それはうちの伝道所に来た動機がすごいからだ。ある教会の会員なのだが、その教会に紛れ込んでいる秘密結社の人が自分を狙っているので、その人を排除してもらいたいと牧師に申し入れたそうだ。その秘密結社はある宗教団体がかんでいるらしい。牧師にそんなことができるはずもないので、ほっておいたのだろう。たまたま、まりや食堂の教会を何かで見て来たのだった。

上で話したようなことを真剣に話すので、気持ちが落ち着けばと思い、礼拝後そんな話を聞くことにしていた。超ファンダメンタルな信仰を持っていて常軌を逸している感じだが、できるだけ話を聞き、絵が得意なので挿絵を何枚か依頼した。それが励みや心の落ち着きになればよいと考えたからだ。ところが、今年の春、突如おかしくなったように私には見えた。それはその人に用事があり電話をした時のことだった。私が礼拝で取り上げた数人の一人がアンチキリスト者なのだが、そのような人を取り上げる教会には行けない、私の信仰が汚れるからだと宣言したのだった。

こういう人の挿絵は上手でも気持ちが悪くて使えないので、まりや食堂の関係者にお願いすると同時に私も書く必要があるだろうと思いスケッチを始めたのだった。そんな二つの動機が重なって考えてもみなかった絵を描く作業が始まったのだ。

勇太の思い出に勇太の絵を、写真をモデルにして描くのだ。勇太の思い出の写真と、勇太のスケッチを見て、私は自分を慰め自らを癒している。これも多分私の心の奥の勇太に対するわだかまりからきていると思っている。この絵にいろんな花を描がき添えてあげたいと思う。いろんなワンちゃんの絵も描きたいと思う。それを勇太の絵のそばに置いてあげたい。などなどいろんな思いが湧き上がり、それなりに気が紛れて今からの少ない人生を歩み切れそうな気がする。

そんな歩みの中で、勇太に対する私の癒しがたい寂しさが少しでも薄れるならありがたいし、スケッチをしなくても済むようになるならそれはそれでよいと思っている。そうなれば、勇太に対するわだかまりが少し薄まったことを意味するのだろう。どうであれ自分の心と対話しながら当分の間は歩んでいきたいと思っている。

またしても勇太なのだが、初めて短歌を作る

愛犬の 去りし日増しても 記憶濃く

庭のバラ切り 遺影に挿しぬ

 

愛犬の 写真模写して 懐かしむ

命湛(たた)えし 優しきまなこ

感無量 (2020年4月23日)



「亡くなった」と、電話口で家内が語る。昨日から何も食べず、横たわったまま下痢と嘔吐を何度もしていた。でも呼吸もしっかりしていて数日は大丈夫だと思っていた。だから今朝(2020年4月23日)出かける時はしっかりと別れの挨拶はしなかった。それは残念とかしか言いようがない。ただ間近に迫る死を予感して、昨夜は写真を沢山撮った。それが私への土産だ。神には動物の天国に行くようにお願いした。

 勇太は私に沢山の思い出を刻んで、ほぼ犬の一生を全うした。14歳11か月。最後近くは後ろ脚が弱って食堂の2階には自力では無理になり、階段をだっこして上がった。私の右肩は故障で痛みが残っていたが、勇太の重量に痛みをこらえて上がったことが懐かしい。明け方3時とかに眠い目をこすっておしっこに連れて行ったのも心に残る。いっぱいうんちをおむつにした。肛門の周りや尻尾の付け根にもうんちがいっぱいついていた。濡れたタオルで何度もふき取った。ワンちゃんは毛があるので大変だ。人間はつるつるしているから処理は楽だ。昨日は下痢も続いた。一生懸命濡れタオルで拭いてあげた。もう二度とないことだ。心に残る思い出だ。

 悪性癌の発見から9か月間生き延びた。分子攻撃用の癌の薬は効き、癌が微小になったが強い薬のせいなのだろうか、体が持たなかった。腎臓と肝臓がひどく悪くなった。これが命取りになった。人間でもいつもありうる薬の効果とその副作用の微妙な関係なのだ。

 いっぽの存在は私の日々の歩みの重要な部分を占めていた。日々はいっぽが中心だった。その存在が無くなってしまい、私は自分の存在を立て直す必要に迫られている。

 亡くなった夕方家に帰った。横たわっているいっぽに触ると、まだぬくもりが残っていた。生きていた時のように、少し顎を突き出して、頭全体が反り返るような感じだった。たいがいそうして寝ていた。食事を受け付けず横たわっていた時もそんな具合だった。ただ本人は意識はしっかりしているようで、立ち上がりたくて前足でもがき、ワンワンと不平を言っていた。

 不運だったのは発病直前にいつものペット病院が閉鎖してしまったことだ。そこがかかりつけの病院で長く通っていた。癌の手術もした。悪性とも言われ普段から気を付けていた。夏具合が悪く近所の違う病院に行けばやぶ医者だった。後ろ脚がかなりむくんでいるのを見逃し、翌日私はおかしいと思い、よく見ると下腹部が腫れているので触れば、内部から大きなしこりが盛り上がっているのがわかった。それで連れて行ってもとりとめがないので、急ぎ違う病院に行った。そこで悪性癌が見つかったのだ。波はあったが下降が常態だった。食事もドックフードは食べなくなり人間のものを上げていた。もちろん味はつけないのだが、魚とか肉とか野菜とか。野菜はキャベツの煮たものが好きだったが、それも嫌になり最後はサツマイモだ。魚もアジだったりぶりだったり、肉も好きだった。昨日の食べ具合から食べそうなものを選んで提供した。作ってもそっぽを向いて食べない時などがっかりする。食欲には波があり、そのたびに一喜一憂していた。どんどん食べなくなり、残したものは私たちが食べた。

 いっぽの亡くなったその夜は非常に深く寝ることができた。終わったなーといった感じだった。本当に日々緊張していた。それは数時間おきにおしっこをさせ、何事か生じるかわからないので気配を感じるとパッと起きたりしていたからだ。腹の具合も悪かった。その夜はぐっすり寝たが、勇太の供養と思い、いつものようにごろ寝した。病気の時はいつ何があるかわからないし、おしっこは何時するかもわからないのでベットの下にカーペットを敷いて着の身着のままのごろ寝が多かった。

 勇太は私たちをおもんばかって死に急いだようだ。私が以前聞いたのは,ボランティアの犬は何も食べなくなってから1週間水だけで生きていたと言っていた。だから勇太の場合でもそうなると覚悟を決めていた。ただウンチを日に何度もするとその処理が大変だなと前日のウンチの具合で感じていた。でも最後だから頑張って支えていこうと思っていたところが、すっと逝ってしまった。

 癌のため非常に老け込んだ顔つきになっていたが、死に姿は凛々しかった。顎をすこし前に出して、鼻をつんと先に向けて脚はぴんと張り、生前の元気の良い時の姿勢に戻っていた。火葬の職員が立派な犬ねと褒めてくれた。毛艶も光沢があるような感じだった。病死と思えないほどだった。まあだから一種の急死なのだろう。死ぬ二日前までは、少しとはいえ、食事はしてくれた。最後の食事はご飯入りのカツオの缶詰で、少し残したがおいしそうに食べてくれた。私は点滴もしてあげた。家内はいつも体を拭いていた。そんな塩梅で毛艶はよかったのだ。火葬前の別れに撫でてやれば毛触りは生きていた時と変わらなかった。立派な死だ。

 あのキカン坊の勇太が死んだのだ。家内など何度噛まれたかわからない。負けてはいないから箒を持ってきて対応していた。私なども噛まれた。ある時は理不尽に噛まれたので当分無視したら非常に気の荒いワン公になってしまったこともあった。ボランティアも何人も噛まれた。甲斐犬はこのように気が荒いから飼うのが大変なのだ。だからこうして死なれても、悲しくはないが寂しい感じがする。それは思い出の多いワンちゃんだったからだ。もう私が怒ったり笑ったりする生き物はいなくなった。でも当分の間心と頭にいるだろう。お骨は当分家に置いて、朝晩このみの缶詰や好きだったおさつを上げようと思っている。

片隅で (2020年4月19日)



 パンデミックが心配されるコロナ肺炎の世界的な注目の世間において、一つの小さな命が生き延びようと必死に歩んでいる。その親二人も一生懸命に支えている。片方の耳にはこの感染病のニュースを聞き漏らすまいとそして万全の準備で感染しないように頑張っている。
 毎日感染者が報道され、その数に一喜一憂している。いっぽ(犬のあだ名)にも私は一喜一憂している。今朝のエサの食いつきが良ければ喜び、悪ければ失望だ。食わないと「お前死ぬぞ」と激励しても、犬は食べたくなければそっぽを向く。肝臓と腎臓が相当悪いからもう食べたくないのだろう。ほぼ毎日私が点滴をしてあげる。肝臓の薬だ。これで少しは持っているのかもしれない。人間も食えなくなれば点滴になる。
 私にはなにはおいても今はこの小さな動物の命が大切なのだ。できるだけ延命させてあげたいと願っている。コロナは広がっている。死者も増えている。死者の家族は気の毒だ。医者も必至だろう。私や関係者は今のところ無事だが、先はわからない。感染経路の不明が増えているから、どこで感染するか予測がつかない怖さがある。私は年だからかかって死ぬなら仕方がないと覚悟はしているが、できるだけ感染しないようにがんばり、小さな命の延命に努力している。今朝も魚や肉や缶詰を用意しても、ちょっとだけ食べて部屋の隅の方で一日の寝る態勢に入っている。
 いっぽが死んでも世間は何も同情しない。世間的には屁にもならない命だが、小さな命も立派な命なのだ。私にはその命は金にも勝る。それが実存といわれるものだ。存在とは関係においてその意味が決まるのだ。金でも、ある人には石ころだ。いっぽは私には生きがいなんだ。いなくなればそれは私には無なのだ。だからいっぽの存在はかけがえのない存在なのだ。

転生 (2020年4月15日)

 何とも奇想天外な本だ。犬が転生をする。しかもいく度もするのだ。だが奇想天外と言っていながら、気が付いたのは日本の仏教には輪廻転生という考えがあるのだ。ただそれは人間が中心だと思う。
 この本は犬が幾度も犬に転生を繰り返すストーリーなのだ。犬に関係しているので、何気なくこの本を買った。犬が何度も転生していったいどうなるかと思っていたが、ラストで驚いた。それは、転生した犬が最初の飼い主に出会うからだ。その飼い主は杖をつく老人になっていた。犬の方は転生を繰り返しているからまだ成犬なのだ。
 老人は寂しいと犬に嘆く。結婚したかったのだが、うまくいかずに老人になってしまったのだ。金はある、農場もある。でも寂しいのだ。犬は彼を救うことが自分の役目と気づくのだった。そのために転生していることを理解したのだ。さほど遠くでない所に住んでいた最初の恋人のアンナとの関係を取り持つ。二人は再開し一緒に住んで幸せになるのだった。ある日皆が出払い、老人は具合が悪くなり、その犬が自分が飼っていた犬の転生であることに気が付き、「おまえと別れるのは辛い」と嘆きながら、その犬に看取られながら亡くなるのだ。その犬は転生を繰り返して自分をかわいがってくれた主人を探しあて、その老人を慰めその老人は静かに死んで行くのだ。
 私の場合は立場が逆で、私は重病の犬を抱えて、死んだら寂しいなと心からしみじみと思っているこの頃なのだ。老人の場合は自分が亡くなることによって、別れてしまうことが辛いのだ。私の場合は犬が死ぬことによって、辛く寂しいのだ。両方とも犬と別れることが辛いことなのだ。立場が違っても別れる辛さは一緒なので共感したのだ。
 この物語がありえない話にしても多くの人の共感を得るのは、生物学的に大概先に犬が死んでしまい、寂しい思いを経験しているからだろう。私にしても勇太が転生してまた私に出会うなら無償の喜びだろう。
 転生を思うのではなく、また飼えばいいのだが、私はもう年なので自分が死んだら犬はどうなるかと思うともう飼えないのだ。またそれが寂しさを増す原因にもなっている。私がもっと若ければ勇太の様な甲斐犬をまた飼って慰めとすればよいのだが、もう不可能なのだ。犬無しでは生きていけそうもないので、犬とのかかわりの方法を色々考えている。
 私が買い取り、誰かに飼ってもらい、時折会いに行くとか、リースの犬を寂しい時に借りて、たまに家に連れ帰るとか、あるいは犬の世話をしている介護施設にボランティアで行くとか、いろいろと頭の中が回っている。
 まあペットロス症候群なのだろう。ただ、今結構犬の介護が大変だが、かみさんと分担しているのでやれているなというところはある。だからパートナーの介護や、親の介護がいかに大変かがわかる。多分トイレが一番大変と思う。いっぽ(犬のあだ名)は3時間ごとにトイレだ。23時頃トイレで次が4時だ。一人だと寝不足になってしまう。これが人間の場合だと大変だと思う。認知症や体が不自由などでおむつをしている場合、大便をされるとその処理も大変だろう。今ワンちゃんはまだ外に連れて行ってやれているが、非常に脚が弱ったのでこの先おむつに用足しということになるだろう。中型犬だからうんちもそう大きくないので人間の場合に比べれば楽だろうが、末期に近づくと結構世話が大変だ。そういった世話をすれば、世話の大変さからもうワンちゃんは飼わなくても良いという気持ちになれたらありがたいのだが。
 介護施設で犬を飼ってもよい所もある。旦那が死んで奥さんが犬と別れたくなく、入所してとても幸せそうなのだ。少し認知の人にも犬はとてもなつき、その人の深い慰めとなっているようだ。犬は人間に深く慰めを与えてくれるペットだから心が癒される。
 小さい犬など、飼い主がべったり抱いている様子を時折見かける。こうなると人間対ペットというよりも、自分の子供か恋人だ。母親でも息子にべたっとしている親がいる。なにか親子というよりも恋人といった感じだ。もう精神的には恋人なのではないか。そういった感じの人間と犬の関係を案外見かける。
 私の場合は家来か従僕といった感じだ。まあ忠実な家来ということか。いっぽはいつも私が家に帰る30分前から玄関で待っている。重症の今でもそれは変わらない。

小さな旅 (2020年4月6日)



悪性癌に侵されても、半年以上耐えている。医者が適切な薬を投入しているからだろう。そこは良い病院としてとても混む。だが、治療費は馬鹿にできない高さだ。先日は一か月の薬もいただいて46000円だった。この金額は私のお小遣いに響いてくる高さだ。
診察を待つ周りの人たちの身なりはそこそこなのに、私が月々支払うほどの犬の治療費は負担ではないのだろうか。中には負担に耐えかねて治療を断念させて延命を停止しているのかもしれない。私の知り合いの犬は癌が大きくなり体の外に飛び出し、そこにお薬を塗っているだけだった。最後は水だけ10日ほど飲んで死んだ。そこの医者はより積極的な治療はしなかったのだろう。多分末期癌で積極的治療をしても助かる見込みがなかったからなのだろう。その治療費も高いだろうから。
 うちの犬の場合はどうだろうか。気持ちが揺れるのは正直なところだ。悪性癌で治る見込みがないのに、時間と手間と金を使って延命の努力が必要なのかと。今朝の状況を言えば、昨夜12時ごろちっこさせて、今朝は3時半に行きたい素振りで、眠い目をこすりオーバーを羽織り、急ぎ外へ連れ出した。6時にも行き、犬と自分の食事の用意だ。犬はもうドッグフードは食べないので、人間のおかずを味付けないで上げる。なにか犬のための一日なのだ。特に早朝におしっこなので着の身着のままごろ寝だ。そうしないと外に連れ出す前に、おむつにしてしまうからだ。おむつにはパットも付けて、たっぷりのちっこに対応しているが、できれば汚したくないし、それだけで受けきれなくて、畳を汚してしまう場合もある。おむつの上におむつをもう一個して対応をするようにした。
 こうまでして支えるのはどうしてだろうか。偉そうな哲学めいた命の尊厳というより、
長く一緒にいて、忙しい時など面倒くさいと思うときもある。だが、私には友達もいないし、慰め犬ではないが、面倒見ることで何か自分を犬のつっかえ棒としているのだろう。多分世話をすることによって、自分を支えているのだろう。懸命にこうして面倒を見れば、いっぽ(犬のあだ名)がいなくなってもこうした苦労が思い出として強く残るだろう。弱っているから抱っこすれば、ぬくもりが伝わってきて、生きもだと感じる。息もしている。生きているんだ。冷たくなり、息もしなくなったら、そこにあるのは無だ。何にもなくなることだ。それは寂しいし、孤独で生きていかなくてはならない。そうなるのはさほど遠くはないだろうが、延命に懸命な医者に出会ったのだから、いっぽが生きられるだけ生かしてあげるのが私の役目だろうし、私のためでもある。かなり高額な薬を使うのもやむをえないだろう。月10万円までは覚悟している。
 もう病気は気にしないで、旅に出ている。末期だし、気にしてもどうにもならないからだ。この冬一緒に雪国に行けた。私のスノーボードのためだ。その宿舎は夕食がないから楽だ。出入りも玄関を通らなくて楽だった。犬のご飯は家で用意したものや缶詰だ。
 現在はコロナ肺炎のために外出が制限されたから、ほとぼりが冷めたらいっぽが生きている間は一緒に小さな旅にまた行こうと思う。こういった生き方も私には剣を鋤に変える生き方なのである。

ひとひ(一日) (2020年4月3日)



「内臓の悪化を辿る鳥雲に」

8月に発病して悪性癌と言われているが、半年以上を生き延びている。痩せてきているがぼそぼそと生きている感じだ。食欲が出るような腎臓の薬を点滴しているせいか、食事もそこそこに食べてくれる。

食事は時に面倒くさくなるが、我慢してささみ、鶏もも、豚もも、牛と盛り沢山だ。牛は好きだ。豚も好きだが脂が強いから沢山は上げない。芋が好きだ。特に紅はるかが好きだ。軟くて甘みがある。ブロッコリーも好きだ。それにドックフード缶詰。缶詰は好き嫌いが強い。できるだけ食いつきの良いものを上げる。高いものは好きだ。普通の倍もするのもある。

重症と言われながら生き延びている。鳥が故郷に帰るために雲の向こうを飛んで、雲に見えなくなる風情がこのタイトルの「鳥雲に」だが、勇太もいずれはそうなるだろうが、今述べたように一生懸命、手塩にかけて世話しているから悔いはないだろう。

おしっこがとても近く苦労する。朝一は私の担当で朝4時に一回目をする。昨夜の担当は妻だが、夜の11時ぐらいならマシだが、午前一時なんていうこともある。ちと大変だ。寝不足になるので、朝は私が担当しているのだ。

おしっこはたっぷりするので、用後は十分水を撒き周りが匂わないようにしている。

常におむつはしている。間に合わないとお漏らしをするからだ。大体3時間ごとにおしっこをする。とにかく水を飲む。それが延命に繋がっているかもしれない。

2階で食事だが、階段を上がる時はリードを持ち上げ、重力を軽くして、駆け上がりやすくしているが、今朝は自分の脚は使えなかった。普通は後ろ脚を踏ん張って一段ずつ上がるのに、その脚に力がなく立ち上がれないのだった。抱きかかえて行った。痩せて軽くなっていたが、生きる証のぬくもりは私の手に伝わってきた。

この階段の上り下りがいっぽ(勇太のあだ名)の運動なのだ。もう外ではめったに歩かないからだ。この階段がまた健康と病状のバロメーターだ。今朝は上れないということは病状が少し進んだことを意味するのだろう。

私が出勤前にもう一度おしっこをさせてバイバイだ。夜帰ってくれば玄関で待っていてくれている。もう尻尾は振れない。また下にくるまっている。多分癌のせいでそうなのだろう。後ろ足もむくんできた。仕方のないことだ。でもこうして一日のいろんなことを時の中に、私の心の中にたっぷり刻みながら今を生きている。

#甲斐犬
#老犬

点滴 (2020年3月16日)


いっぽ(犬の勇太)は点滴を始めた。腎臓のため。腎臓がかなり悪い。前の検査でも悪かったが抗がん剤を優先したのだ。この癌は悪性で、治癒はなく小さくさせて、共生きなのだ。今回の検査の結果で、抗がん剤を減らして、腎臓を守ることを優先した。この抗がん剤は、効果は抜群だが内臓へダメージも与えたのだろう。これでまた癌が暴れるかも。でも、もう強い薬はこの体には無理かもしれない。
そこそこに食べるから、点滴をしながら癌の動きを見るしかない。少しずつ力がなくなっているが、痛みがないようにケアしながら、見届けていくしかない。
点滴はありがたいことに、病院ではなく家でできるのだ。皮下点滴で一回に100ccだからどうってことない。今は便利なものができているものだと感心する。ありがたいのは薬でも、食事でも受け付けなくなれば、この点滴剤に混ぜて投入できることだ。癌で苦しむことはさせたくないからだ。勇太は病院に留め置くのが難しいワンちゃんだから、この点滴の方法ならかなり延命ができるだろう。
幾度か聞いたのは水だけ飲んで10日生きたとかだ。この病院は積極的な延命措置をしてくれるのだと思う。後はこちらが望むかどうかで、動物治療の方法は進歩していることを感じる。ただ、進歩の分、金がかかる。大体3週間分の薬と検査で3万円だ。保険もないし、人間よりも高い費用だ。でも生きられるだけ生かそうと思う。私にはいっぽしかいないのだから。でも病院に行くのも大変だ。混むので2時間から3時間もの時間がとられる。
一日おきの点滴だ。今日が初日。以前に他の病院でこういった点滴は見ているので何ら問題はない。ただ人間のに比べ、少し不潔だと感じる。以前違う病院では注射器を机に置いて使った医者もいた。
点滴は首のあたりの皮膚がダブダブしている場所をつまんで皮下注射をする。犬は何も感じないらしくおとなしくしている。皮膚に刺す針は使い捨てだが、点滴剤を吸い取る注射器は5度も使いまわしをすることが少し気になる。その注射器の針を外して、針のついた細い管を取り付け点滴をする。
病院に行けないほど弱ったらどうしようと考えていたから、この点滴の方法は煩わしいけれど、やるだけのことはやってみようと思う。

 #甲斐犬
#犬の点滴
#動物病院

おもらし (2019年11月15日)


おもらしを始めた。甲斐犬は部屋内ではしないのだが、病気のせいだろう。したければ動作で教えるが、多分無意識に漏れてしまうのだろう。腫瘍が膀胱を圧迫しているのかもしれない。お漏らしは厄介だ。フロアが汚れ不潔になる。トイレもやたら近くなっている。


勇太は赤ん坊になったのだ。おむつをお腹にまいて生活だ。そうすればお互いにきれいな生活ができる。人間も老いが進めばおむつの世話になる可能性はある。勇太だけの問題でない。

勇太は比較的元気だ。多分食べるからだろう。私は食いつきそうなものをやたら探してあげてみるのだ。犬用の牛乳は好きだ。パンも好きだ。無塩のバターを塗ってやる。煮干しやおかかも、おかか飯だ。これで食べることは何とかなるだろう。

病気については、あの病院はもう無理だ。人間として信用できないので、いよいよ評判の良い所に行く決断をした。やたら混むから、できれば普通のところで余命を静かにまっとうさせたいと考えていたが、知っている人がそこにかかっていてよかったという。時間によってはさほど混まないともいうから、そしてそこなら雑な扱いもないだろうから行くことにした。

これで私の心も少し軽くなった。ひどくなり、痛がったりしたらどうしようと考えていたからだ。ここは患者に寄り添うというから、無理なことはしないで淡々と老犬の生き方をさせてくれるだろう。

悪性腫瘍 (2019年11月18日)

その病院は熱心な医者だが、検査に勇太は参ってしまったようだ。腹部の超音波検査では犬を仰向けにするが、勇太は絶対にそれは嫌だ。それを大人が数人で力づくでしたものだからひどすぎる。検査の方法が分かったのは翌日来るように言われて、再び同じ検査をするのに私が中に呼ばれてそれがわかった。勇太は絶対嫌だという。私が頭を押さえてそのままの姿勢でした。スキャナーを腹部にあてて映像を見るのだ。

勇太は悪性腫瘍だった。医者は情熱家で完治しないままでも、腫瘍を小さくし余命を伸ばすことを熱心に考えている。私は無理はしないでそこそこにと考えているが、この腫瘍は食欲不振を招くそうで、またきつい検査もあって食欲がゼロに近かった。何とか少し食べて、薬が大切というから何とか飲まして、それで食欲が戻るのを期待している。見殺しはできないからだ。何とかエサに食いつくように誠意努力している。薬を無理に飲ませるのもそのためだ。食べなくては死んでしまう。どうしても食わないというならそれも定めだろう。

食欲がなくて入院とはいかない。勇太は私のそばが良いから離されたら吠え続けて無理なのだ。甲斐犬は一人にしかなつかない、そんな犬種なのだ。それも定めだろう。勇太は腫瘍ができやすいタイプのようだ。それも定めだ。死ぬかもしれない。心が寂しくなる。

芙蓉が初冬の庭に一つの花弁に赤白を欲張って咲かせている。同じ敷地の部屋では一つの存在の命が危ない。自然の営みは非常に冷徹に淡々と各々の存在が自らの主張を披歴しているように見える。美しく花を咲かせるもの、寿命尽きるかに食事をしないでじっと横たわっているもの、私はさまざまなものの営みにかかわっている。それが人間だ。

#甲斐犬
#犬のおむつ

針縫う (2020年2月29日)



いっぽ(犬の雄太のあだ名)は闘病中だ。私はその対応で悪戦苦闘している。最初は食欲がなくて困り果て、これでは死ぬなと思うほどだった。病院を変え、そこで良いお薬をいただいたせいか食べ始めた。ただお薬代がとても高い。まあ命には代えられえない。ただ薬が利尿剤の働きをして、更に膀胱の神経もやられているせいか、おしっこがほぼ二時間おきだ。それでもおもらしをする状態で常におむつをしている。うんちも踏ん張りがきかないので肛門に少し残っていたりするから、尾っぽを持ち上げ肛門を点検し拭く。一時拭きすぎて肛門の周りがただれた。その尻尾だがいつもピンと立っていたのに、癌のせいで股の間にくるまっているから、うんちのしぐさの時には尻尾を持ち上げてやる。
ある日、教会関係者から7歳の犬を誰か飼ってもらえないかという相談を受けた。唐突なようだが、その教会に私は呼ばれて話に行ったことがあり、私の飼い犬の話もしたことが縁になっていたのだ。飼い主はそのお姉さんだが、妹の宗吾(仮名)さんが窓口なのだ。その犬種は甲斐犬だ。私の心は動いた。今の犬はもう長くはないので、飼う選択肢はあるが、ただ私も年で、その犬が15歳のころは、私はよぼよぼで面倒を見れるかという危惧はあった。それが問題なのだ。
その犬が他所に行く理由もそこにあったのだ。主は年配で散歩のときに、急に引っ張られて頭を打ち、脳挫傷を生じ、それが原因で死亡したのだった。奥さんでは飼いきれないので里親を探すことになったのだ。
家内は絶対反対だ。それはわかる。今の甲斐犬は家内にはなかなか慣れなくて苦労したのだ。今は食事やちっこで苦労している。気をつけないと部屋でおもらしがある。二時間ごとに外に出てちっこをさせ、そこに水を撒く。玄関から素早く出ないと、そこでちっこをしてしまうのだ。癌で膀胱の神経がマヒしているのも、そういった現象を引き起こしているようだ。食欲がない時は、家内や私は肉などを素茹でして、ちぎってあげる。病院は混むし、車でしかいけないから陣取りのために早めに行き一時間は待つ。
こういった事情だから、無理なのは承知している。私は心で「飼いたいなー」と思うことによって、心を慰め、心でそのワンちゃんと遊んでいるのだ。一度見に行きたいと思っても、家内は情が移るから駄目だと宣言す。
里親を探すことにした。まずうちの犬病院に張り紙をお願いした。うまい具合に提供側と受け取り側のお見合いが成立した。ところが翌日になって、元の飼い主の姉の方に戻すことになった、と宗吾さんから電話があった。引き受けた側が返してきたのだ。私はその話にガクッときた。引き受けて、翌日に返すとはあまりに勝手な振る舞いだからだ。
まあ危惧がないわけではなかった。なぜならその犬は成犬の甲斐犬だからだ。病院の張り紙でまりや食堂へ来た人は、今まで何匹も飼ったようで手馴れた様子だった。一緒に来た娘さん(おばさんだが)は「かわいい犬だった」、と張り紙を見た感想だが、私はその写真のワンちゃんの顔を見て、とても気性の強い甲斐犬という印象を受けていた。私は山本(仮名)さんに甲斐犬は基本的に気性が荒く、私や家内も何回も噛まれたことを話したが、意に介さないようだった。
引き取ったその夜、家族が集まりわいわいしていた時に、突如犬が飛び上がり、娘さんの腕に噛みついたのだ。救急車で病院に。7針ほど縫う傷だった。その事件で奥さんは飼うことを断固拒否したのだった。その気持ちはわかる。だがその甲斐犬は悪くはないのだ。私の場合でも、何気なくそばを通っただけで噛みつかれ、非常に立腹したことがある。家内などは幾度も噛まれて用心した。それが甲斐犬なのだ。甲斐犬は野生に近い犬種だから警戒心が強いし、人に慣れないのだ。
その主にはなついたようだが、他とはうまくいかなかったようだ。それがまた甲斐犬なのだ。主と認めた一人しか慣れないのだ。我が家でも娘が孫を連れてきた場合でも、常に私は警戒している。いつ何時彼女らに噛みつくかもしれないからだ。いつぞや孫が手を出したら噛みつかれ、指から血を流してしまった。山谷ではボランテアが何人も噛みつかれ、あるボランテアは乳のあたりをぱくりやられたこともあった。いっぽは今、老犬、癌で弱っている。これでもやはり甲斐犬だ。家内が不用意に手を出すものならガッと噛みつこうとする気性は弱らないのだ。
この甲斐犬の飼い主を探してほしいと再び電話があり、とある里親団体を紹介することにした。まりや食堂の半専従者が飼った犬は、その団体の斡旋で手に入れたからだ。残念ながらそこは里親を探すだけで、飼えない犬を引き受ける団体ではないようだ。そこで、東京都動物愛護相談センターを紹介した。甲斐犬を理解する良い飼手が見つかることを願うのみだ。

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#里親
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