点滴(2019年9月18日)

勇太がガクッと年を取った。14歳だ。人間の80歳だ。犬は人間の一年が5年に相当する。すごい飛び級みたいだ。平たく言えば人間に換算して、約2か月で一つ歳をとることになる。人生ならぬ犬生を、犬は駆け足で進んでいる。
先だってまでカートに自分の力で飛び乗っていたのに、もう後ろ足の筋肉が衰えて飛び上がる力が弱ってしまい、私が抱えて乗せるのだ。そしてホームセンターの中でショッピングだ。それでも孤独が好きで、「かわいいね」なんて手を出すものなら噛みつく。そばに寄りすぎれば吠える。そのあたりはまだまだ甲斐犬の面影が残る。顔面には白髪が増え、眼力は弱い。私はひたすらこの犬に尽くしている。悔いが残らぬように支えている。時々口の周りがあれるので、医者からのお薬を毎朝塗っている。ついでに私も足の爪にお薬を塗るのを常としている。散歩も嫌がる。うんちとおしっこをすればそそくさと家に向かいUターンして帰ろうとする。出ていく時はいやいやなのに帰りは早い。帰れば食事が待っているのを知っているのだ。調子がよい。急速な老け込みに、もうそんなに長くは生きられないだろうと直感する。できるだけ一緒にいてあげる。
かく言う私も老いてきた。終活に向かっている。やり残しをできるだけこなして、後を汚さないようにしていきたいと思う。頑張って生きて、ぽくっと死にたいものだ。知り合いは、前の日まで元気で次の日ぽくっと逝った。
勇太は食事が終われば直ちに寝る。一日の大半を寝て過ごす。もう番犬は下りている。人の気配がしても起きない、当然ほえない。寝ることによって体力の消耗を減らしているのだろう。
犬が危ないようだ。歳をとるとある時に年以上にぐっとふける感じだ。もう普通には歩けない。ゆっくりゆっくりだ。
死ぬのは辛いが、もう悲しくはないと思う。ただ寂しいなー。
勇太はもう死の準備をしているようだ。私の方にその心を整えさせてくれているようだ。もう目に光はないが、柔和な目をしている。遠くを見ている。
甲斐(前に飼っていた犬の名前)と一緒で夜中にうろうろして何か死に場所を捜しているみたいだ。
夜中にもどした。もうだめかなと思った。病院は閉まっているし、このままだと思った。
気持ちの上で見捨てている。次の日は横になったままだ。ご飯は食べない。私は山谷へ。夕飯も食べないようなら夜に病院へ行くことにした。病院へ行くと、熱中症と言われた。体温は41.2度だ。ぐったりしている。自転車の荷台に乗せて家内と運んだのだが、危ないかもしれないと言われた。点滴で泊まりの入院が良いのだが、人になれない勇太なので夜の10時に引き取ることにした。行けば少し目が元気だ。よたよたしている。翌朝また行った。よたよただが昨日よりはましだ。今日一日入院点滴だ。調子を見て昼頃か夜に退院する。
医者は今日に関しては、最初は入院のことは言わなかった。それは分かる。昨日の費用が2万5千円だからだ。今日また入院すればそれだけの費用がかかるだろう。だから自分の方からは切り出せないのがなんとなく分かる。勇太は自分で死を振り切って生きようとしている。だから、できるだけ長くその日病院にいるようにお願いした。これで何とか命は保つだろう。9日の夜の甲斐の状態と同じ時は、私はもう勇太を見捨てていたと思う。実際病院はやっていないし、救急車もないし、14歳だからもういいだろうと思ったのだ。でもこうして症状が少し良くなって生きようとしているので、何とか元気にしてやろうと病院にはお金をかけようと思っている。
今から何年生きるかわからないが、今回は熱中症というのには参った。気が付かなかった。前日まで十分な食欲があったからだ。ただ、少し後ろ足がむくんでいるのには気が付いていたし、クーラーが効いているのに「はっ」、「はっ」、と細かく息をするのはどうしてなのかと思ってはいたが、それが熱中症の兆候だったと今分かった状態だ。
犬は人間の5倍の速さで全てが動くから、悪い時はあっというまに悪くなるし、良くなれはすぐに良くなるだろう。
4日経つが餌は食わない。点滴をしてもらう。医者は食べなくても大丈夫だと言う。熱中症からくるさまざな病気が怖いと4種類の薬をくれた。シュルシュルという流動物には触手が動いた。いくらもないが食べてくれた。家では缶詰もだめだ。鳥のひき肉のスープは少し飲んだ。ひき肉も少し食べた。こういった事はみな医者の指示による。甲斐を思い出す。腸が弱くよくささみを煮てあげていたのだった。食わないが元気になってきた。元気になると薬を上げるのが一苦労だ。まだ餌は食わないからそこに混ぜ込めないから、口に入れて飲ませるが吐き出す。私は指でつまみもう片方の手で口をこじ開けできるだけ喉の奥に押し込むのだが、元気になって抵抗が強く口を閉じようとするので危険だ。これが薬で病気のためなど知るわけもないし、知っていたなら犬などやっていないだろうに。甲斐の時も何度もしていたので手馴れていたはずだが、あれからもう10年以上たち、私も年を取ったので何か手元が不確かで、やっと薬を喉の奥に入れてあげた。一錠なら何でもないが四錠一個一個するのだから大変だ。これで健康が回復するならこの苦労は軽いものだ。
4日間はほとんど何も食べなかった。医者は、犬はそのくらい大丈夫だと心配していない。まずは寝る事。実際寝る、寝る。この日病院でくれた缶詰を食べた。良かった。それに鳥のひき肉も食べた。これもあっさりしているからだろうか。前からあるセレクトプロテイン(缶詰)はまだ食わない。大概これを食べるのだが、よほど体のコンデションが悪いのだろう。夜は少し食べた。良かった。これを中心に食べさせよう。だがバクバクやると下痢が心配だからぼちぼちにしようと思う。
五日目、突如食べ始めた。食欲が戻ったのだ。いつものドライフードも食べ始めた。
(テニススクールのレベルが上がった話は私の勘違いだった。ぬか喜びでした。レベルアップに向け頑張る)

頂点を極める(2019年9月7日)


頂点を極めたいと人は欲望する。でもこれは人を抜いて一番になりたいという心とは違う。

エベレストの頂点を極めたいと願うのは、何人も極めているが、自分もそうしたいと願うことだ。だからこれは競争とは違う。競って一番乗りとは違うのだ。まあ、一番で頂点に立つ競争はあるだろう。

頂点を極めるとは。なかなか難しい概念だ。スノーボードの頂点を極める。私がそう言った時は、めちゃくちゃうまくなることではない。自分の力量の精いっぱいのところに到達したいのをそう言いたいのだ。今私はボードの頂点を極めたと自分に言える。それは長年苦労していた左ターンがかなり確実にできるからだ。今までは最初右回りから入って左ターンなのだが、全体的に納得できないでいた。前年の冬、谷側に体の正面を向けて下に向かいずるずると滑ってから前を落として左ターンに入る。そこから出発をし始めたら、かなり気分よく滑れるのだ。その最初のやり方は浅間2000スキー場の中級コースだった。そこはとっつきがきつく狭いので上のその方法を取ったら、結構いけるのでその方法でどこでもやりたいと今思っている。ターンは左から入った方が次々のターンもきれいに決まっているのだ。今年はこれで急斜面をやる予定にしているが、今述べた状態が私の頂点だと思っている。これ以上は望まない。

ボードの筋トレのために始めたテニスについても頂点がある。テニスで極めたい頂点は中級だ。つまりまともなボールをへましないで打つ、レシーブをする。それでいいと思っている。なかなかこれが難しく、いつも何か練習で不満が残ってしまうのだ。もっと修行しなくてはと思っている。ただ歳なのでどこまで体力が持つかなということだ。その歳のせいで、頂点をめちゃ高い所にはおけないのだ。

テニススクールでは1つ上のクラスになれたようだから、がんばらなくてはと思う。大概のボール受け,打つことを心掛け自分の頂点を目指すのだ。練習しかない。二人のコーチと土浦コーチからみっちり仕込んでもらおうと思っている。言われたことを繰り返し練習するしかないだろう。

アクセルとブレーキ(2019年8月31日)


ブレーキとアクセルの踏み間違いで車が暴走して、悲しい事件が幾度も起きている。そんなに踏み間違えるのかと考えているが、アクセルとブレーキは隣同士だから、何かで頭がパニックになれば踏み間違いもあるだろうと推測していた。

当の本人がそのような少し怖い体験を軽くしてしまったので参考までに状況を話す。

とある交差点を右折するために右折車線で待っていた。大体その車線の信号は早く変わる。皆急ぎエンジンをふかして右折していく。私はやや遅れたので急いで曲がりつつあったが、もう信号が変わってしまった。後ろに中型のダンプがいて、そこは一車線の右折道路なのに加速して私の左側を追い抜こうとしていた。それがサイドミラーで見えていたので危ないと思い、ブレーキを踏んだのだがなぜか加速していた。あれ!加速だ、と気が付きアクセルを離した。やはり気が少し動転していたに違いない。後ろのダンプがいきなり追い抜いてきたので、怖いと思ったのだろう。何せちっこい車なのだから。

本人はとっさにブレーキを踏んだつもりがアクセルだったのだ。多分頭の中ではブレーキを踏む指令が出ていたのだが、なぜかアクセルを踏んでいたのだ。多分の脳の反応と体の反応がずれていたのだろう。気が動転すると多分体の反応に異常が生じるのだろうか。正常に対応してくれなかったのだ。脳はブレーキと言っているのに体の反応はアクセルをブレーキと認識してしまったのだろう。だから脳はブレーキを踏んでいるつもりでいるので、「ブレーキを踏んだのに、加速してしまった」というセリフになってしまうのではないだろうか。