背広(2018年4月28日)
彼の話によると、今そこにタクシーを止めて弁当を買いに来た。なんでも日雇いの仕事をしたりタクシーの運ちゃんをするらしい。「じゃ東京の地理は詳しいのね」と聞けば、長くしているから大概は知っているらしい。
よほど前もそんな話を聞いたことはあったが、もしかすると日雇いのタクシードライバーかもしれない。私が日雇いをしていた時分には、日雇運転は玉姫の職安が募集はしていた。私も2、3度はその仕事をしたことがあったが、タクシーはなかったと思う。これは確か2種免許がいるから普通の人は持っていないだろう。彼は時折タクシーを時折は日雇いをしているのだろう。その感覚は分かる。つまりタクシーはほとんどが夜勤だから実入りはよくてもきついだろう。それでドライバーがいやになれば日雇いの仕事に入るのだろうと思う。山谷は老人の街とは言えまだまだ日雇いの仕事はあるようだ。仲間から行ったり、おやじが山谷に来たり、おやじのところに電話をしたりしていくのだろう。なんといっても日雇い労働者は、親方にとっては便利な労働力だ。若干単価が高くてもいる時使い、そうでない時は雇う必要がないから、人件費がとても安くつくのだ。
ちょっと話をしていて驚いたのは、この人はまりや食堂の創業(30年前)のあたりを知っていたことだ。「喫茶店をしていたんだよな」と言うではないか。まさにそうなのだ。コーヒー屋をした理由は、私もコーヒーが好きだったから、まったくの素人が食堂を始めるには客に慣れなければいけないと思い、好きなコーヒーにトースト、卵焼きの喫茶店から始めたのだった。私は顔を覚えていないが、この人もその時の客の一人だったのだ。何とも懐かしい。この人はそれからそれなりに働き人生をエンジョイして、今こうして背広で出会ったのだ。