山頭火 (2023年4月14日)
「ほろほろ酔うて木の葉ふる」
酒飲んでほろ酔いで旅を続けている。秋なのだろう。ハラハラと山頭火の網代笠(あじろかさ)に木の葉があたっているのだ。結構な旅路だなと感じる。
行方定めぬ旅を7年間する。その日の風の吹きようで西、東、最小限度のお布施が入る方向へ、一杯飲める方向へ旅し続ける。(46頁、大山)
山頭火の生命は歩くこと、酒を飲むこと、句を作ること、これが良いとか悪いとかでなくこれが山頭火なのだと著者言う(48頁)
山に入って死なないでいる。町に立って死なないでいる。生きている限り、一歩一歩ただそのまま踏みしめてゆく。(58―59頁)
あてもなく漂泊して行乞して生活している。時には熱が出る。
そのとき読んだ句は(47頁)
「大地にひえびえとして熱のある体をまかす」
この人は強い人だ。めったに熱などでない。一日何里も歩く。10里も歩く。
48頁の生き方は、私の日雇い仲間の生き方だった。
「あるくこと」は行乞のことだ。これが仕事だ。お金やお米を恵んでもらう。仲間は日雇い仕事が仕事だ。山頭火が酒にのめりこむように、仲間も酒だ。毎晩飲む。飲みすぎたら翌朝表に立たない。土日はギャンブルだ。その繰り返しだ。これが良いとか悪いとかでなく、山頭火同様に山谷の仲間の生き方だ。人の一生なんてたいしたことではないのだ。
私が食堂を立ち上げてからは、一緒に飲む機会もなくなり、関係は疎遠になった。皆どうしているだろうか。山谷の中でも会うことはない。生活の時間が違うかもしれない。弁当を買いに来る人の中にたまに昔の仲間の人がいる時もある。
山頭火と仲間の違いは自由律俳句の秀才だったということだろう。まあこれも普通の人にはさほど重みのあることではないから、山頭火と山谷の仲間にそう違いはない。
多分山頭火の方が飲み方についてはすごみがあったと感じている。どろどろになるまで飲む。そういった仲間もいた。これは大変な飲み方で数日飲みっぱなしで、そのあとは路上であれ、どこであれ寝てしまい、倒れてしまい、一日中そうしている。飲まなければ何日も飲まない。そんなアル中だ。
山頭火のすごいことは、料亭などでしたたかに飲み食いして、つけ馬を俳人の仲間のところにつれて来てお金を払ってもらったり、無銭飲食で拘置所に入れられたことだ。本当に半端のない生き方だ。
43歳で得度した、出家したのだ。味取観音堂の堂守となり朝晩鐘を叩いていた。檀家は50軒ほどだからそこからのお布施では生活はまかないきれないから近隣を行乞して生活費を得ていたようだ。そういった行乞が坊さんの特権だからそうのようにして生き方を習得していったのだろう。この鐘叩も一年ほどでやめたくなったのだろう。出奔。あてどのない旅に出る。
「この旅、はてもない旅のつくつくほうし」
熊本の家に帰るがまた旅へ。じっとできないのだ。
愚かな旅人として放浪するより外に私の生き方はないのだと語る(122頁,岩川)
念仏し托鉢すれば何とか生きていけるのだ。彼は出家によってそれなりに生きる方法を身に着けたといえる。行乞して歩く乞食坊主なのだ。
仲間の肉体労働に比べたら楽なものだ。でももらいが少なくて野宿の時もあったと書いてある。野宿は山谷の労働者でもある。
何度か不景気があった。朝表に立っても仕事がないのだ。アブレ(失職)だ。たくわえのない人は野宿だ。ドヤに泊まっている人はまりや食堂の安いご飯を食べ生活を凌ぎ、翌朝できるだけ早く起きて通りの手配師に声掛けして仕事を頼むのだが、顔づけ(古参)が優先だからなかなか仕事にありつけないのだ。こういった点も、生活の不安定さという点で山谷の仲間と共通点はある。
山頭火は根っからの自由人なのだろう。人生はどうでもよいのだろう。生きようが死のうがどうでもよい、と人生を達観しているようにも感じる。いつも睡眠薬を持っているようだ。不眠症らしい。酒があればそれで寝られるのだろうが、金がなく酒が飲めない日は眠剤を使うのだろう。眠剤で数回自殺を図ったらしい。生きることはどうでもよかったのかもしれない。
「しぐるるや死なないでいる」
行乞し、お米とお金を得て宿代が出れば、酒屋で一杯飲んで泊まる、お風呂に入るというような毎日のようだ。自由な生き方それが山頭火のようだ。
歩いて行乞してホイトと呼ばれ、俳句を作り、お酒を飲んでの毎日なのだ。朝から飲む時もある。朝飲んでから旅に出るのだ。
現代は日本中にコンビニがあるからアルコール類は24時間買える。飲もうと思えばいつでも飲めるのが日本の体制だ。山谷では朝からやっている飲み屋がある。8時にはあいている。店の中は狭く路上に机といすを出して飲んでいる。そこは路地だから誰も文句は言わない。朝から飲んでいる。接待のおばさんがいるようでそれで人気があるようだ。
山谷は今は労働者の街ではないような気がする。はっきりわからない。飲んでいるのは生活保護者なのだろうか。ドヤやホテルに泊まっている人たちなのだろうか。ドヤ住まいの労働者なのだろうか。はっきりしない。ドヤのほとんどは生活保護者と聞いている。女日照りだから、接待のおばさんがいればそこに行くのだろうか。
朝から路上で飲んでいる人もいる。私も晩酌はやる。さほど飲めないが飲む。それだけに山頭火の生き方が気になるのだ。
飲んで飲んで、木賃宿に泊まり食事も粗末だったろう。旅を続けて時には病気もしただろう。7年にわたる漂白流転、旅を続けているのだ。浮き草のように岸から岸に乞食坊主として一生涯流転せざるを得ないと山頭火は自己を語っている。行乞し、歩いて、飲んで句作して、泊まって温泉に浸かって、俳友から金を借りて、これが山頭火のスタイルなのだ。歩けるだけ歩き、行けるところまで行くのだ。気楽と言えば気楽だ。
山谷の私の労働仲間も皆そうだった。日雇いをして、夜は酒だ、土日はギャンブルだ。ドヤに泊まり、朝早く起き、仕事を得て一日を働き、出づらをもらい風呂に入り酒だった。その繰り返しの人生で行けるところまで行こうというのだ。多くは故郷を捨てているから死ねば無縁仏と覚悟を決めて、好きなように毎日を歩く。多くは年を取り今は生活保護を得て、細々と生きている。その生活保護者を支えるためにまりや食堂は安い弁当を提供しているのだ。
変な話なのだが、私は仲間の労働者が生活保護になっても少しでも文化的生活を送ってもらいたいと願い食堂を作ったのだ。彼らのためには定食350円で。野宿者やあぶれた場合に凌ぐために生卵定食200円を作った。(現在は弁当屋をしている。一番安いのはのり弁当130円。次に卵焼き弁当160円。定食は250円から400円まである。ご飯の量が多いのが特徴)
生活保護の金は10数万だろうから、まりや食堂の安いご飯で金を浮かし、週末は好きなギャンブルなどで人生をエンジョイしてもらいたいと願ったのだ。私は伝道のために山谷に入ったが、なんといっても山谷は飯が問題だった。だから少しでも仲間を支えるのは聖書と祈り以上にご飯なのだ。それで安い食堂を作ったのだ。
弁当販売窓口ではめったにギャンブルの話は出ない。皆すまして買いに来るが、来る人は酔ってない人が大半だから、きっと酒のみではなくギャンブラーだと思う。今日来た常連のおじさん(本当はお爺さんだが気持ちは若い、だからおじさんだ)だが「今日やられた」というので聞くと競馬ではなくて競艇だ。江戸川だ。「9900円を取り損ねた」と残念そうだった。「金がなくなるのを怖がっていたらギャンブルはできないぞ」と威張っていた。昔仲間に江戸川のプリンスというのがいた。競艇一本の仲間だった。金があれば行くのだ。江戸川には競艇場があるのだ。
山頭火は行乞で生活費を稼いだ。年を取り行乞をやめた後は相当な貧しい暮らしになった。時折は俳句仲間の応援があっただろうが、たぶん金の援助はみな酒代に化けるから常に貧しかっただろうと思う。
行けるところまで行こうとは私の事でもある。
目に付く記事が新聞にあった。かいつまんで紹介する。
見出しは「生きているだけで革命」(朝日新聞夕刊2023年4月12日)
「生存は抵抗」とは生きているそのものが抵抗という意味だ。今生を軽視して人を生産性で測っている。そのような世でただ存在して生き延びることは常に革命的だ。ここでいう革命とはそこに存在するだけの生き方が開かれた社会、何かを強制されることのない社会等を目指す営みを言う。
私は存在するだけで価値がある、意味があるという考えがすごいことだと思う。創世記で神が人間を創ったという思想は人間が被創造物として平等だという思想になるのだ。神の創ったものとして存在そのものが尊いのだ。そう考えれば山頭火などは、その存在はすごく大きく感じてしまう。行乞して生計を立て、句作して、飲んで、自分の生き方を徹底している。金のないときは他人に寄りかかっている生活もまた一つの生き方だろう。
山谷の日雇い労働者は社会に大いに貢献している。一般の人は知らないだけだ。私が体験したのは池袋駅の東西抜ける通路の工事だ。上の駅を鉄骨の柱で支えて地下を掘りぬくのだ。これは大工事だった。鉄骨で駅を支えているから、重機で掘れないので手堀だった。ベルトコンベアを何台もつないで表に残土を運び出すのだ。だらだらとこの仕事はできないので、監督と相談して今日の掘削を何リューベとか決めて掘方は仕事にかかる。こうして人力で東西の地下道を作り上げたのだ。山谷の日雇労働者が掘りあげたのだ。
多くはもう年を取り生活保護となっている。老後を楽しく過ごしてもらいたい。多くの仲間は酒やギャンブルで存在の豊かさを追求しているのだ。山頭火にとっても行乞、句作、酒は存在の豊かさを示しているのだ。なんともすごい人生だと思う。