いろはアーケイド街(2018年1月15日)
いろはアーケイド街の両側に店があり、その中の通りを覆っているアーケイドがある。雨の日なども楽に買い物ができて重宝なのだ。夜はそこが野宿者の宿泊場所としてもってこいだった。雨は当たらないし、風も強くは吹かないし、そこで結構大勢の人が野宿していた。私がこのアーケイド街のビルの一部屋で伝道を始めた30年前にはすでにあった。
ここは今のまりや食堂から歩いて5分ほどの近さにある。こないだ(2018,01,13)いろは通りに行ったら、そのアーケイドが撤去されつつあったのには驚いた。この通りは700メーターほどあるが、すでに半分は撤去されていて、そこから空が見えた。
わたしは何か時代の流れを感じてしまった。山谷は日雇い労働者の町だった。野宿者も多かった。多分日雇労働者と野宿者は関連していると思う。日雇いができなくなったり、日雇いの仕事がない時に一部の人たちが野宿者となり慣れ親しんだこのあたりで野宿をしていたのだろうと思う。いろは通りの商店街で日雇い労働者が日常の生活品の購入に沢山のお金を使っていた。そういった労働者と商店街の関係で街の人にも人情があり、いろいろなことから仕事ができなくなり、このいろは通りの商店の軒で野宿しても大概の商店は黙認していたのだろうと思う。そういった事情で今まで長く野宿者がこのアーケイド街を利用していたのだ。
このいろは通りのアーケイド街は労働の需要と供給のたまり場の一つでもある。このあたりに出張などの仕事のスカウトに親方や手配師が来ているようだ。実際野宿している人からこの間出張に行ったなどと聞いたこともある。私もこの通りで夜親方らしき人の周りに10人ぐらい人が囲んで仕事の番割をしているのを見たことはある。
大勢としては日雇い労働者の町が終わって老人の街、言い換えれば福祉の街になった今、そしてシャッター街となってさびれている今、アーケイドの維持費がかかるから撤去するのだと言っているらしいが、この大規模なアーケイドの撤去のほうが大変な費用が掛かると思う。街としてはそういった手間をかけて、いろは通りをきれいにしてさびれた街を再生するつもりでいるのだろう。そして撤去は、結果として野宿者を追い出すことになってしまう可能性はあると思う。
ここで寝泊まりしている人もまりや食堂の弁当を買いに来る。雨の降らない日ならこの通りでも寝られるが、今後この街がどんな対応をとるかが心配だ。山谷の象徴のようないろはアーケイド街がなくなるとは、日雇い労働と野宿者の町としての山谷はもうなくなることを意味するのだろう。
だが表面からこれらが消えても、日本の経済構造は日雇い労働者の別名短期労働者を必要としているし、いろいろな事情で仕事がなくて野宿せざるを得ない人たちもいるからまりや食堂の必要性は依然として続くだろう。