いっぽくん (2019年11月4日)


犬の勇太は年を取り、熱中症になり、薬害になり、腫瘍が鼠径部にみつかり、かなり大きく、その影響で後ろ足がむくみ尻尾は垂れて、あがらない。そういった具合で散歩はおしっことうんちをすれば家にユータンだ。最近少し調子がよさそうなのに、同じパターンなので私は勇太のあだ名を「いっぽくん」と命名した。それは、その歩きが散歩(3歩)とは言えず、せいぜい1歩(いっぽ)ぐらいだからだ。朝、「『いっぽ』散歩だよ」と笑ってしまう。

けれども事態は笑うような状況にはない。今の勇太の腫瘍はなぜか小さくなっている。また大きくなることは十分考えられるので毎日ハラハラしているが、ある程度は覚悟はしている。老犬で人間の80歳だから、そう長生きもできないから、腫瘍の悪化で死ぬことも覚悟しなくてはならない。もう切れないし、人間と同じようにホスピスで痛みをうまく取ってもらい命を終わらせたい。

だが、動物病院の医者との関係が最悪で良心的な医者を再び探さなくてはならない。今の医者は半年前に初めてかかった。それは長くかかわっていた動物病院が閉鎖したからだ。

3週間前、勇太の足のむくみが気になり、病院に行ったが足を触っただけで経過を見るということで2週間後に行くことにした。少し前から気になっていたのは左鼠径部の皮膚が透けて見えるのだ。もともとそこは毛が薄いのだが、それにしても変だと思い、そこに触れてみてびっくり仰天だ。腫れているのだ。そっと押すと皮膚の下に塊がある。直径10センチぐらいだ。これはがんだ。勇太は以前に睾丸に悪性腫瘍ができ去勢した。きっと体内に潜んでいたのが動き出したのだ。

これで一連の勇太の具合の悪さがはっきりした。夏に一週間食事をせず、病院で熱中症と言われ緊急入院した。その時すでに腫瘍が勇太の体を痛めていたので、この病気になったのだろう。そのあたりでもすでに足にはむくみがあった。腫瘍が鼠径部を圧迫してのことなのだろう。

熱中症が回復し、沢山の薬をもらい退院した。熱心に薬を飲ませ、その後病院で血液検査をしたら肝臓がひどく悪いのだ。ここは血液検査をよくするから、前のデーターで状況がすぐわかるのだ。

薬害だ。これで一気にこの医者に不信を持ち始めた。要するに薬の飲ませすぎなのだ。笑っちゃうのは、今度は肝臓を守る薬を出したのだ。あまり飲ませなかった。食欲が出てきて、指定の日に病院を訪問したが、肝臓の検査のための血液検査は断った。途端に医者の態度が急変した。検査は費用が高く病院の稼ぎ頭なのだろうが、私はお金の出し惜しみではなく、過剰な検査は必要ないからだ。検査で肝臓が悪くてももう薬は飲ませないつもりだからだった。

ところが足のむくみがひどく、二日後に病院に行けば上で述べたように後ろ足を触診しただけだったが、その後腫瘍を発見したので、急ぎ病院へ。医者の扱いが乱暴で勇太を抱きかかえるのに腫瘍のあたりを持ち上げたので悲鳴を上げた。ひどい医者だ。超短波の検査で下腹部に塊がある。

腫瘍を抑える一番弱いという薬をくれたが、家では飲ませなかった。もうその医者の薬は信用できないからだ。食欲はなく、ささみを上げたら食べた。芋も食べる。パンが好きだ。納豆も、それで人間の食べ物と病気用の缶詰をあげた。一週間たちうっ血している患部を見ると、きれいな皮膚になっている。腫れも引いている。これは不思議だ。   

ドックフードをやめたのが主な原因かもしれない。ドックフードがよくないことは巷ではよく聞く。それでうちではかなり高いのを買っていたが、リスクは避けられなかったかもしれない。あるいは全くの偶然かもしれない。

一週間後、病院へ。薬は食欲不振で2回しか上げていない、腫瘍が小さくなったようだとこもごも説明する。医者は不愉快な顔で直すために薬を上げているのに、それでは来てもしょうがないと、ぶすっとしている。状態が改善したのだから喜んでくれてもいいのになーと、内心この心の狭い医者を嘆く。

多分、立場がないのだろう。薬を飲まないのに病気が改善しているし、それにひどいむくみで連れて行った時に単なるむくみだろうと、きちっと体を見てくれなかった。その後すぐに腫瘍に、私は気が付いた。この医者にも勇太の病歴の書類は渡してあるが何もみてはいなかったのだ。

歳だし、好きなものを食べさせ腫瘍がひどくなってきたら、痛め止めでも打ってくれたらありがたいですと医者に言えば、まともな返事をもらえず、さらに前に行った時に腫瘍から体液を取っていたから、腫瘍はどうなんですかと聞けば、何も調べていないとけんもほろろの対応だ。頭にきているから何も教えたくないのだろう。本当にひどい医者だ。こういう医者が生き延びるのだ。検査だ、注射だと言って結構高い金をとる薮医者なのだ。

勇太にはホスピス用の違う医者を捜さなくてはならない。基本的には薬は何もいらない。自然食で生きれるだけ頑張ってもらう。私と歩める間は一緒に人生を謳歌するのだ。