山頭火 (2023年3月26日)


「わけいってもわけいっても青い山」

山頭火は味取観音の堂守を捨て果てしない旅に出る。

これは山頭火の有名な句と言われている。いくらわけいっても山が続いている、いわば人生の苦労を言っていると理解されているらしい。私にも「わけいってもわけいっても」はわかる。登山でもこんなことはある。人生はこうだろう。幾多の様々な出来事が待ち構えているからへこたれず分け入らなくてはならない。

私には「青い山」の「青い」が気になる。岩だらけのひどい山ではないのだ。鳥も囀る木の茂った山山なのだ。岩川隆は(116)はロマン的、果てしない道に対象を求めていると言う。たしかにこの「青」にはそこはかとなくあわい希望を見出す。

山頭火は放浪の人と言われるが禅宗の得度(とくど)を得たれっきとした坊さんだ。多分、生活は行乞(ぎょうこつ)つまり托鉢(たくはつ)だ。それで生活費を稼ぐのだ。

山頭火は堂を出て4年ほど行乞をしながら放浪する。岩川は家族のことなどどう考えているのだろうと批判めいたことを言う(116)。たしかに、山頭火は旅をして作句三昧なのである。こういった生き方もあるだろう。俳句が生きがいなのだ。4年ほど放浪して、家に戻っても落ち着けなく、神経衰弱になり旅に出る。多分生活破綻者なのだろう。よく言えば自由人だったのだ。家には奥さんと息子一人がいる。生活は我楽多屋という店を開いていた。

旅に出て、稼ぎがなければ野宿だ。それにたかりだ。つまり自由律俳句仲間では一目置かれていた。ただ、生活面では飲んだくれ、アル中、放浪癖などなかなか厄介な生き方になっていたが、仲間は承知していた。だから訪ねて来れば飲ませ、泊め、小遣いを上げるといったつながりがあった。それを承知の山頭火だったのだろうから人生は何とかなるという、達観というか捨てているというかもうどうでもよいという人生観だったのだろう。だから今から行乞風来の旅に出るのに、この句には悲壮感は感じない。私も俳句をかじるから悲壮感であれば「青い山」をもっと否定的な表現にするだろうと思う。山頭火の生きざまから切り離してこの句だけを見れば、人に希望を持つようにと勧めているような温かさを感じる句だ。それで好かれるのだろう。

私とて山谷に入ったころはドヤやアパートを借りるなどして家には週末だけ帰るところがあった。子供の面倒は妻が見ていた。私も家庭を顧みないひとだったのだろう。

山谷に招かれ山谷伝道にとりつかれていたのだった。家庭を顧みないわけではなかった。

ただ、子には父らしい父ではなかったのだ。この年になり子供も結婚し孫もいるが、少し父らしいことをし始めている。子供を少しは楽にさせたいとも思っている。老いては子に従えとのたとえになりつつある。山谷の私のホームページは子供が面倒を見ている。私が原稿を書いて、ネットに上げる作業をしてもらっている。先先はもっとそうなるだろうが、できるだけ自立して生きていきたいと思う。