山頭火 (2023年4月4日)


分け入っても分け入っても青い山

自己肯定、自己否定の矛盾の中で旅に出る。得度(とくど)の身だから行乞(ぎょうこつ)して金を得、米を得て木賃宿泊し、飯を食い酒を飲み、句作し青い鳥を見出すことを夢見て歩き続けたのだろう。

放浪の俳人というところだろう。生活無能者と切り捨てられない。自由律俳句界の優秀者ということで仲間が支えたのだろう。それによってたくさんの俳句、よい俳句もできたのだ。死後見直されてたくさんの俳句が人の心を楽しませてくれるのは良いことだろう。仲間が最後まで支えたのは人徳というべきか。彼はアル中だったのかもしれない

それぞれが生活していく中で、人の飲み代までしりぬぐいするのはたまらないだろう。それを幾人かの俳句仲間は受け入れている。単に友情という以上に非常に懐の深さを感じてしまう。この人をだめにしてはならないという使命感まであったにちがいない。

こういった人たちがいなければ山頭火は野垂れ死にしたに違いない。

私とて人に支えられてこの仕事をしている。だからこれを壊さないようにしなくてはならないが、格好つけてもしょうがないのでありのまま発言し感じるままに行動して今日に至っているからこのまま続行だ。いずれにしても人の輪によって支えられている。これは山頭火と変わらない。私は神の懐の深さによって支えられているのを感じる。

イザヤ書43章8-15節では、「神の言葉を聞かないし、神の出来事も見ない民なのに、神は神の証人として立てるのだ。そういった民なのに神は主の僕とし選び、救い出したのだ」。ここに神の懐の深さがある。私も神の懐の深さを感じている一人なのだ。

それだけに山頭火は面白いと思うから、この人の生き方を追いながら山谷の仲間たちと私の生きざまを比較しながら展開したいと思う。

山頭火は無銭飲食や酔っぱらって路上で寝たりと自由な生き方を生きていた。通勤で朝家から山谷の街に入れば、路上で縁石に座ったりして酒盛りだ。自転車の後ろに一杯カンを乗せた袋を運んでいる人もいる。路地に入れば大きなバックに腰かけて寝ている。まりや食堂の筋向かいのコインロッカーに大きなバックを押し込んでいるおじさんがいる。多分昨日の野宿のモーフをしまっているのだろう。あるきながら常にワンカップを飲んでいたおじさんは最近見かけない。あれだけ飲めば肝臓がやられ入院とか様々なことが考えられる。山頭火のような人も山谷にはいたし、いるのだ。

俳句については、自由律俳句は良いと思う。私は定型季語の俳句だが、自由律俳句で境涯を広げ句作に励みたいと思う。

「老木の花のさびしい我もさびし」(菊地弦)。弦は私の俳号

老木の桜が伸びすぎて上の方の幹が切られ、下の幹につながる細枝の桜が寂しかった。私も今いる場所は三日間一人だからやはり寂しいのだ。

支えられていることについてもう一言、神の加護が強力だ。イザヤ書43章は絶大だ(24b節―25)

「あなたの悪のためにわたしに重荷を負わせ、あなたの背きの罪をぬぐい、あなたの罪を思い出さない」。私は神の絶対的愛に支えられこうして生きている。

山谷におけるまりや食堂を取り巻く支えの輪は、ひとえに神み言葉によって呼び出された人々の輪なのだ。

山頭火の晩年の俳句は良い。

「おちついて死ねさうな草萌ゆる」山頭火

私の道は私の愚をつらぬくよりほかにないと言う(岩川隆『どうしやうもない私』講談社458頁)。

私はこの句が好きだ。落ち着いている。雑草をみて、雑草が生き生きとしている。

私も春が来ると忙しくなる。庭の雑草を時々刈らねばならないからだ。今は鎌ではなく、ぶんぶん回る機械で刈る。楽だが気をつけないと足を切ってしまう恐れがある。機械は楽だが怖い。雑草は本当に勢いが良いから、刈っても刈ってもすぐ伸びてくる。

山頭火が「草萌ゆる」と詠うのはそういったことのことだろう。雑草のようにしぶとく生きて愚をつらぬくのだ。一草庵の周りには雑草がわんさと生えている。もう行乞はしたくない。草花を見ながら句作して、旅先ではなくここで死ねそうなのだ。

愚をつらぬく。それは酒だ。行乞しなくては酒は飲めない。友が来なくては酒が飲めない。タバコは拾えるが、米は拾えない。

酒、酒、酒、アル中だからどうしても飲みたい。飲み屋に行く。飲んで飲んでどろどろまで飲む。つけ馬と友の家に行き払ってもらう。それが山頭火の生きざまなのだ。愚に徹している。持つは良き友達だ。