山頭火と山谷と酒 (2023年4月28日)


(p.247、岩川または石)

ほろほろ酔うて木の葉ふる

行乞しながら一杯ひっかけて旅をする、網代笠に木の葉がはらはらと落ちてくる晩秋なのだ。

酔へばあさましく酔わねばさびしく

山頭火は泥酔するまで飲まねば気が済まなかった

酒飲めば涙ながるるおろかな秋ぞ

57歳の山頭火は体が弱り、酒が弱くなった。胸がゼイゼイなる。3合ぐらいで酔って寝てしまう。58歳で亡くなる。長い行乞放浪生活は木賃宿粗末な食事、野宿毎日の酒で体が弱ってしまったのだ。

彼の酒はとことん飲む酒だ。アル中だ。山頭火を読むと山谷の昔の仲間を思い出す。今から40年前の日雇い者の町山谷は活気があった。彼らもとことん酒を飲んだ(その中に私も入る)。だから彼は他人事ではないが、仲間でも彼ほど飲める人はさほどいなかったと思う。私の知っている人に一人いた。朝からずっと飲み続ける。ずっと、限界で、どこでもひっくり返り寝てしまう。三日は酒を断つ。幻覚の人もいた「そこに虫が走る」と叫ぶ。

山頭火は泥酔した次の日はもうしゃきっとしているのか。多分そうではあるまい。仲間も私も酒好きという点で彼と同じなので私はなんとなく彼に興味を持つ。

もう一つは俳句だ。私は定型だが彼のは自由律句だ。それは季語や定形に縛られずに気持ちを読める。学びたいと思う。

もう一つは彼は旅人だ。私も人生の旅人と思っている。

もう一つは彼は乞食坊主だ。托鉢で路銀を稼ぎ泊まり歩き句作飲み続ける。私も支援で食べているから似たようなものだ。

もう一つは彼は禅宗の坊さんだ。私はキリスト教の牧師だ。両方ともかなり自由な考え生き方だという点で似ている。

自由律句一句。ついに買う命守りしヘルメット

彼は行乞を嫌ったが、この方法しか生きる道はなかった(石、p.269)。

「一握りのこめをいただいてまいにちの旅」

家を托鉢(たくはつ)して経を上げお布施やお米をもらうのだ。それを行乞(ぎょうこつ)という。そのお金とお米で木賃宿に泊まり酒を飲むのだ。米5合が20銭だという(p.269)。托鉢できるのは曹洞宗の坊さんになったからだ。これは生きるためには必要だったのだろう。

酒は底なしだ。ほろほろ、とろとろ、どろどろ、ぼろぼろ、ごろごろ酔う。

「酔いさめの風のかなしく吹きぬける」、とことん飲んで奈落の底まで沈む(p.247)。

酒の失敗もたくさんある。悲しい酒だが、酒が俳句のガソリンでもある(p.247)。

私も酒は好きで毎晩飲むから彼のことを批判する立場にはない。酒の失敗もある。飲み屋のドアガラスを蹴破りマンモスに突き出され、上さんが引き取りに来たこともある。

山谷の私の仲間は酒好きだった。皆とことん飲む。仕事がなければ飲む、仕事があれば終わってから飲む。雨でアブレれば朝から飲む。当時立ち飲み屋はいくつもあった。飲むのに不自由はしなかったし、朝から飲んでも変な顔をする人いはなかった、朝から酔っぱらっても周りは笑っている。ほんとに当時の山谷はおおらかだった。仕事はきつかった。それだけ酒はうまかった。雨で仕事がなければ開放感から朝から酒になるのだ。

この人はアルコール依存症なのだろう。酒なしには生きていけないのだ。でもよく発病しないで生き切ったなと感心する。これだけ飲めば幻聴、幻覚、せんもう、肝臓障害など起こし病院の世話になるのだ。

私なども毎晩飲むから、肝臓障害などはありうる。今は元気だ。飲みたいから病気はしたくない。入院はいやだ。酒が飲めないからだ。まあ、入院なれば気合を入れて禁酒をするしかない。

知り合いはアルコールの深みにはまってしまっている。もうあまり歩けないのだが、それでも飲んで飲み続けている。ご飯はほとんど食べていない。おかずもほとんど食べない。トイレは間に合わない時が多く,粗相をしていて部屋がどうにもならなくなっていると奥さんがこぼしている。どうするのか。本人は子供に返っていてわめき散らすと言う。説得して酒を断酒する病院に入るしかないのだ。かわいそうに。酒はうまいが、物悲しい存在でもある。気を付けないと取りつかれ魂が抜かれてしまう。

(岩、p.233)山頭火は酒でドロドロになるから定住より旅が良いのだ。

(岩、p.233-4)

旅と俳句と酒と湯が好きなのだ。普通の人は金と暇はそうないが、山頭火はそうではないのだ。仕事をしてないから暇はたっぷりだ。金は各地に友人がいる。行乞という技術も持っている。暖かいから行倒れもない。

「春風の鉢の子一つ」

托鉢の鉢だ。お布施、お米などを入れてもらう器だ。自由律句の名手だから各地にファンがいるのだ。多分憎めないタイプの人なのだろう。そこを頼りに旅に出るのだ。そこに逗留して酒三昧だ。行乞すれば食ってはいけるのだ。岩川が皮肉ではなく、事実を語っているのだろう。これが彼の生きざまだ。私は定型句だが、彼の自由律句はうまいと思う。私は自分の句作の参考にしたい。

今の私は行乞と似ている。年二回機関誌を出して献金をお願いしてそれで生活が成り立っているからだ。

(岩、p.79)

山頭火は酒乱だと言う。飲めば泥酔するまで飲む。冷めた後の虚無感が強い。うつ病でもあった。

(p.140)酒のうまさを知ることは幸福でもあり不幸でもあるのだ。

山谷の仲間には酒をかたきのように飲むものもいた。飲んで飲んで飲みまくる。飲みすぎれば次の日は仕事に出ない。仕事はバリバリやる。こういう人は酒のない国に生まれたなら立身出世できたのだろうと思う。イスラム教の国では酒はご法度だからそういった国に生まれたならよかったのだ。そういった人は山谷にはいくらもいたと思う。

私も一緒に飲んだし、まりやを開設し、日雇いをやめた今も晩酌は欠かせない。せいぜい2-3合だが、一合が良いそうだ。できるだけ抑えようとするがなかなかそうはいかない。泥酔するほどは飲めないが、もっと減らすべきとは思っているから気持ちは彼と同じだ。飲まないと思ってもずるずる飲むのが彼だ。私も毎晩だ。だから旅で行乞した方が飲めないのだ、そんなに喜捨はないからだ。私には夜の晩酌しか楽しみはないのだ。ボードでも、テニスでも帰宅後の酒がうまいのだ。次の日がボードやテニスの時は控えめにしないと体がうまく動かない。

それでも結構飲んでしまう。やっぱり彼に近い。

(p.435)時々アル中の発作、身辺幻影しきりと書いてある。やはり飲まないと禁断症状が出るのだろう。(p.456)戦争たけなわになり、行乞のもらいが少ない。もく拾いもする。山谷の野宿の人もしている。飲みたくて、足が飲み屋料亭に向く。無銭飲食、つけ馬と一緒に俳友の家行き払ってもらう。無銭飲食を幾たびか起こしている。醒(さ)めれば自責の念。山谷でも気が付くと酒の自動販売機の前に立っていたという仲間がいた。ある人は酒乱で何度か断酒しても無理で自分をはかなんで自殺した人もいる。酒はなかなかつらい存在だ。

山頭火は鉄面皮なのかもしれない。自堕落なくずかもしれない。ずうずうしく無銭飲食で実際何度かぶた箱に入れられている。自由律句は巧みでそのグループの人々からは尊敬はされていた。愛すべき人なのだろうか。この矛盾の中で生き、そういった自分の支持者に依存して生きていたのだろう。金あればぐてぐてに酔って道端で寝転がっていたという(p.461)。

私が長く面倒をみた山谷のおじさんNを思う。酔って道端で寝転がり通行人が心配して救急車だ。私が病院に呼ばれて腹がたった。忙しいのに何やってるのかと思った。病院に行けば、酔っている。補聴器がないので意思が通じないのだ。ポケットにまりや食堂の電話の書いた紙きれがあったのだ。山谷に連れて帰る。山谷ではそういった人も生活している。山頭火が他人じゃないのだ。最初に出会った頃のNは野宿で薄汚れて、シラミの服だった。山頭火も何年も放浪していて法衣は薄汚れシラミもついていた(p.464)。

山頭火は自由律句の達人で生き延びたのだろう。あれだけ飲んで60近くまで生きたタフガイだ。

仲間も飲む。飲む人生だ。日雇いして夜は飲む。それで人生はお終いだ。それも一生だ。一人一人の一生はそれぞれでよいのだ。あれこれ分け隔てはない。無駄な人生はないのだ。

生きて、生きて最後は死ぬ。戦争は嫌だ。人が無駄に死ぬからだ。正義の戦争なんてないのだ。

山谷の仲間の一生は何か。自分が楽しかったらそれでよいのだ。日雇いは下済みで産業に貢献して報われずに一生を終える。損な役割だが、これが資本主義の仕組だ。日本のマシな点は生活保護や医療保護もあることだ。

山頭火の俳句は素朴でよい。真似をしてみた。

ついに買う命を守るヘルメット

とりあえず旅に出ようかホトトギス

酔い覚めるように鬱きえし

土曜日の高速飛ばすモヤはれし

一人旅自分と話す

スズメもめるなわが庭で

土手染し菜の花群れるジョキング

河原に色テントいくつもイベント