感無量 (2020年4月23日)
勇太は私に沢山の思い出を刻んで、ほぼ犬の一生を全うした。14歳11か月。最後近くは後ろ脚が弱って食堂の2階には自力では無理になり、階段をだっこして上がった。私の右肩は故障で痛みが残っていたが、勇太の重量に痛みをこらえて上がったことが懐かしい。明け方3時とかに眠い目をこすっておしっこに連れて行ったのも心に残る。いっぱいうんちをおむつにした。肛門の周りや尻尾の付け根にもうんちがいっぱいついていた。濡れたタオルで何度もふき取った。ワンちゃんは毛があるので大変だ。人間はつるつるしているから処理は楽だ。昨日は下痢も続いた。一生懸命濡れタオルで拭いてあげた。もう二度とないことだ。心に残る思い出だ。
悪性癌の発見から9か月間生き延びた。分子攻撃用の癌の薬は効き、癌が微小になったが強い薬のせいなのだろうか、体が持たなかった。腎臓と肝臓がひどく悪くなった。これが命取りになった。人間でもいつもありうる薬の効果とその副作用の微妙な関係なのだ。
いっぽの存在は私の日々の歩みの重要な部分を占めていた。日々はいっぽが中心だった。その存在が無くなってしまい、私は自分の存在を立て直す必要に迫られている。
亡くなった夕方家に帰った。横たわっているいっぽに触ると、まだぬくもりが残っていた。生きていた時のように、少し顎を突き出して、頭全体が反り返るような感じだった。たいがいそうして寝ていた。食事を受け付けず横たわっていた時もそんな具合だった。ただ本人は意識はしっかりしているようで、立ち上がりたくて前足でもがき、ワンワンと不平を言っていた。
不運だったのは発病直前にいつものペット病院が閉鎖してしまったことだ。そこがかかりつけの病院で長く通っていた。癌の手術もした。悪性とも言われ普段から気を付けていた。夏具合が悪く近所の違う病院に行けばやぶ医者だった。後ろ脚がかなりむくんでいるのを見逃し、翌日私はおかしいと思い、よく見ると下腹部が腫れているので触れば、内部から大きなしこりが盛り上がっているのがわかった。それで連れて行ってもとりとめがないので、急ぎ違う病院に行った。そこで悪性癌が見つかったのだ。波はあったが下降が常態だった。食事もドックフードは食べなくなり人間のものを上げていた。もちろん味はつけないのだが、魚とか肉とか野菜とか。野菜はキャベツの煮たものが好きだったが、それも嫌になり最後はサツマイモだ。魚もアジだったりぶりだったり、肉も好きだった。昨日の食べ具合から食べそうなものを選んで提供した。作ってもそっぽを向いて食べない時などがっかりする。食欲には波があり、そのたびに一喜一憂していた。どんどん食べなくなり、残したものは私たちが食べた。
いっぽの亡くなったその夜は非常に深く寝ることができた。終わったなーといった感じだった。本当に日々緊張していた。それは数時間おきにおしっこをさせ、何事か生じるかわからないので気配を感じるとパッと起きたりしていたからだ。腹の具合も悪かった。その夜はぐっすり寝たが、勇太の供養と思い、いつものようにごろ寝した。病気の時はいつ何があるかわからないし、おしっこは何時するかもわからないのでベットの下にカーペットを敷いて着の身着のままのごろ寝が多かった。
勇太は私たちをおもんばかって死に急いだようだ。私が以前聞いたのは,ボランティアの犬は何も食べなくなってから1週間水だけで生きていたと言っていた。だから勇太の場合でもそうなると覚悟を決めていた。ただウンチを日に何度もするとその処理が大変だなと前日のウンチの具合で感じていた。でも最後だから頑張って支えていこうと思っていたところが、すっと逝ってしまった。
癌のため非常に老け込んだ顔つきになっていたが、死に姿は凛々しかった。顎をすこし前に出して、鼻をつんと先に向けて脚はぴんと張り、生前の元気の良い時の姿勢に戻っていた。火葬の職員が立派な犬ねと褒めてくれた。毛艶も光沢があるような感じだった。病死と思えないほどだった。まあだから一種の急死なのだろう。死ぬ二日前までは、少しとはいえ、食事はしてくれた。最後の食事はご飯入りのカツオの缶詰で、少し残したがおいしそうに食べてくれた。私は点滴もしてあげた。家内はいつも体を拭いていた。そんな塩梅で毛艶はよかったのだ。火葬前の別れに撫でてやれば毛触りは生きていた時と変わらなかった。立派な死だ。
あのキカン坊の勇太が死んだのだ。家内など何度噛まれたかわからない。負けてはいないから箒を持ってきて対応していた。私なども噛まれた。ある時は理不尽に噛まれたので当分無視したら非常に気の荒いワン公になってしまったこともあった。ボランティアも何人も噛まれた。甲斐犬はこのように気が荒いから飼うのが大変なのだ。だからこうして死なれても、悲しくはないが寂しい感じがする。それは思い出の多いワンちゃんだったからだ。もう私が怒ったり笑ったりする生き物はいなくなった。でも当分の間心と頭にいるだろう。お骨は当分家に置いて、朝晩このみの缶詰や好きだったおさつを上げようと思っている。