おもらし (2019年11月15日)


おもらしを始めた。甲斐犬は部屋内ではしないのだが、病気のせいだろう。したければ動作で教えるが、多分無意識に漏れてしまうのだろう。腫瘍が膀胱を圧迫しているのかもしれない。お漏らしは厄介だ。フロアが汚れ不潔になる。トイレもやたら近くなっている。


勇太は赤ん坊になったのだ。おむつをお腹にまいて生活だ。そうすればお互いにきれいな生活ができる。人間も老いが進めばおむつの世話になる可能性はある。勇太だけの問題でない。

勇太は比較的元気だ。多分食べるからだろう。私は食いつきそうなものをやたら探してあげてみるのだ。犬用の牛乳は好きだ。パンも好きだ。無塩のバターを塗ってやる。煮干しやおかかも、おかか飯だ。これで食べることは何とかなるだろう。

病気については、あの病院はもう無理だ。人間として信用できないので、いよいよ評判の良い所に行く決断をした。やたら混むから、できれば普通のところで余命を静かにまっとうさせたいと考えていたが、知っている人がそこにかかっていてよかったという。時間によってはさほど混まないともいうから、そしてそこなら雑な扱いもないだろうから行くことにした。

これで私の心も少し軽くなった。ひどくなり、痛がったりしたらどうしようと考えていたからだ。ここは患者に寄り添うというから、無理なことはしないで淡々と老犬の生き方をさせてくれるだろう。

悪性腫瘍 (2019年11月18日)

その病院は熱心な医者だが、検査に勇太は参ってしまったようだ。腹部の超音波検査では犬を仰向けにするが、勇太は絶対にそれは嫌だ。それを大人が数人で力づくでしたものだからひどすぎる。検査の方法が分かったのは翌日来るように言われて、再び同じ検査をするのに私が中に呼ばれてそれがわかった。勇太は絶対嫌だという。私が頭を押さえてそのままの姿勢でした。スキャナーを腹部にあてて映像を見るのだ。

勇太は悪性腫瘍だった。医者は情熱家で完治しないままでも、腫瘍を小さくし余命を伸ばすことを熱心に考えている。私は無理はしないでそこそこにと考えているが、この腫瘍は食欲不振を招くそうで、またきつい検査もあって食欲がゼロに近かった。何とか少し食べて、薬が大切というから何とか飲まして、それで食欲が戻るのを期待している。見殺しはできないからだ。何とかエサに食いつくように誠意努力している。薬を無理に飲ませるのもそのためだ。食べなくては死んでしまう。どうしても食わないというならそれも定めだろう。

食欲がなくて入院とはいかない。勇太は私のそばが良いから離されたら吠え続けて無理なのだ。甲斐犬は一人にしかなつかない、そんな犬種なのだ。それも定めだろう。勇太は腫瘍ができやすいタイプのようだ。それも定めだ。死ぬかもしれない。心が寂しくなる。

芙蓉が初冬の庭に一つの花弁に赤白を欲張って咲かせている。同じ敷地の部屋では一つの存在の命が危ない。自然の営みは非常に冷徹に淡々と各々の存在が自らの主張を披歴しているように見える。美しく花を咲かせるもの、寿命尽きるかに食事をしないでじっと横たわっているもの、私はさまざまなものの営みにかかわっている。それが人間だ。

#甲斐犬
#犬のおむつ