命を削る (2020年12月4日)
車で山谷に通勤するが、山谷の道路の一角の歩道の縁石でコップ酒を飲んでいる男を毎朝見かける。この調子で一日中飲んでいるのだろう。少し弱ったようだ。以前は歩きながらコップ酒を飲んでいた。それ以前はまりやの前で会えば気軽に挨拶していた。今見かける彼は色が浅黒くなり、しゃがんで飲んでいる。元気がなさそうだ。多分だいぶ内臓がやられているのだろう。
山谷は酒の街でもある。今は泥酔して路上で寝ている人はほぼ見かけなくなったが、朝から昼からよく飲んでいる。自動販売機のそばで飲んでいる。今はもう見かけなくなったが販売機の横で朝いつも飲んでいた人がいた。見るたびに頬がやつれてきた。多分酒と心中するつもりなのだろう。
その気持ちはわからないわけでもない。わたしも晩酌を欠かせないからだ。まあでも入院となれば、酒を断っても平気だからまあ良しとすべきだろう。
最初に触れた人などは、長年見かける山谷の人だが、何か命を削りながら飲んでいるような気がしてならない。少しずつ命が酒によって削られているのだ。多分一向にかまわないので命の最後の一片まで飲んで、満足して自然に帰っていくのだろう。
そんな人は以前もいた。怖い人だった。乱暴者で問題飲酒者だった。いくら酒に強くてもいつかは内臓がやられる。いつからか山谷から姿が見えなくなって、ほっとしている。日本人は飲み屋が好きなようだと、コロナの件で感じた。感染源の一つが飲み屋で自粛が要請されている。上で述べた縁石で飲み続けている人の例は別に山谷だけでなく、日本中のどこでものことなのだろう。普通の人は目立たないようにしているだけだ。飲み屋がやたらはやることによって、そこがアルコール依存症の予備軍の造成場になる危険性はある。それぞれ自分の力量で飲むのだからとやかく言えないが、早くワクチンが使用できるようになればありがたいと思うだけだ。